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どうも、歩くタンパク質の星野です。先日何気なく、中学生のころ好きだったバンプオブチキンについてのHPを調べていたんですね。するとこのような記事を見つけました。この記事を読んだ第一印象は

「おぉ、ここまで時代がきてしまったのか」というものでした。

 

バンプが評価されているワケ

バンプオブチキンのどこが評価されているか、これについては多くの方が述べている通り、「詩の世界観」だと思います。(こんなこと今更ドヤ顔でいうことじゃあないけれど)

バンド名が日本語で「負け犬の一撃」と訳されるように、誰にでもある人間の弱い部分を表現しながら、それに立ち向かっていく様が世界観として表現されています。彼らの音楽の世界観に対して、僕が当時共感できたのは、「そこがもっとも人間臭い部分だから」だと僕は思っています。

今はこんなマッチョキャラになってしまった僕ですが、中学生当時の僕はか弱い子犬のような存在だったので、彼らの作品はより心に突き刺さったのです。でも今、僕の心を支えているのは100㎏のバーベルとプロテインだけです。

ま、それはどうでもいいか。

 

 初音ミクがミュージシャンを殺す?

仕事で筋力トレーナーをやっている都合上、ミュージシャンやアイドルを指導することもあるのですが、そういった人たちが属する芸能界に関わっていた際も、初音ミクは多くの業界人から注目されていました。

なぜなら、ミュージシャンなどの表現者にとっては初音ミクはライバルになるわけだし、ボイストレーナーにとっては、これまでの教え方とは全く異なってしまう生徒さんが出てきたからです。ボーカロイドが流行ることで生徒さんの練習曲がおかしなことになってきた(なぜならボーカロイドの曲は人間が歌うことが想定されてないから)と彼らは愚痴をこぼしていました。

そして、特に身内の音楽業界の方達をにぎわせたのが2012年の「ミクの日大感謝祭」だったと感じています。主人公は機械、そしてそれを支えるプロのミュージシャンと裏方たち。。。

まるでSF映画を彷彿とさせるような状況だったなぁ、と今でも覚えています。なぜなら、プロミュージシャンが後ろで引き立て、他のスタッフは全てミクのためにその場を用意していたのですから。いくらビジネスのためとはいえ、もはやこれはアートなのか?とアートに関わる人ほど疑問を呈していたと思います。

そしてこのことから言えることは「音楽・芸術にはもはや人間はいらないのではないか」という世の流れ、そして一部の方たちが恐れる声であり、「私たちは生音を求めなくなった」という聞き手の変化が起きている、ということですよね。

 

聴こえる音、聴こえない音

専門的に言えばCD、MP3というのは人間の非可聴領域(耳には入っているけれど、聞こえていると認識できない音)を削ることで容量を小さくしています。だから、実は僕たちは生音の音楽を聴くときのほうがCD,MP3よりもずっと多くの情報をとりいれていることになります。

CDでクラシック音源に感動しない人でも、生で演奏を聴くとえらく感動する、みたいなことがあるわけですが、僕たちがわざわざ初音ミクの「生音」を聞きに行ってしまうあたりがこれまでの常識で考えると違和感を感じるわけです。

何のための生音なのか、何のためのライブなのか、ということを考えてしまうのです。

 

非人間性と人間性のフュージョン

そこでバンプオブチキンに話を戻しますが、バンプというのはもっとも人間臭さを表し、初音ミクはもっとも人間性からは遠い(というかヒトではない)ものを象徴している。

この両者がコラボしてきた、ということが、これからの新しい音楽の在り方、新しい音楽の聴き方が「好むにせよ好まざるにせよ」問われてきているのだと僕は思います。

 

人間と機械との対話

バンプのファンならば、おそらく多くの方がこのコラボに違和感を覚えるはずなのですが、それは決して「バンプがダメになった」みたいな浅い議論では終わらないと確信しています。

バンプやさだまさしのような、詩に人間臭さを全力で表現する音楽、そして人間では表現できないような音域やリズムを機械が表現する音楽、この両者がどのようにうまく対話していくのか、これからの音楽の動きが楽しみです。

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