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歴史をめぐる政治

日本と韓国・中国の間で第二次世界大戦の歴史認識をめぐる議論が政治問題化し、泥沼化した状態となっている。今年に入ってからもいわゆる「河野談話」(=従軍慰安婦の強制性を認める公式見解)の見直しについて議論が活発化し国会でも取り上げられている――今年の3月24日の菅官房長官による記者会見では「河野談話」の見直しはないと発表された。こうした歴史認識問題は単なる事実認識の問題ではなく高い政治性を帯びた問題となってしまっている。

今回はそうした国内あるいは対外的な政治の問題として歴史認識問題を取り上げるのではなく、素朴に歴史が認識の問題として成立するメカニズムを簡単に説明してみたい。というのも、私たちは小学校の頃から歴史を事実として学校教育で学んできた。しかし、「教科書で学んできた事が本当の歴史だって教えられたのに、その『事実』をめぐって議論が絶えないのはなんで!?」という素朴な疑問に答える必要があると思うからだ。

 

歴史は客観的事実ではない!?

過去は客観的な事実として存在するのだから、例えば南京大虐殺があった/なかったなどということはすぐに分かりそうなものだ。でも実際にはそうした歴史認識をめぐる議論は全く決着する気配を見せない。どうしてそうなるのだろうか?

一般的に、歴史が過去を扱うものからだと考える人は多いと思う。つまり、過ぎ去った過去を直接知ることは出来ないため、過去にあったであろうことを示す証拠=史料から間接的にしか過去は知ることが出来ない。こうした「直接知ることが出来ない」という歴史の性質=不透明さが多くの歴史認識問題を引き起こす原因となっているというわけだ。しかし、それなら偉い学者さん達の研究によってその不透明さは次第に歴史から取り除かれていきそうなものである。

しかし、実はこの歴史の不透明性は「過去は直接知ることが出来ない」という性質よりももっと厄介な「モノ」によって阻まれていたということが1990年代以降の歴史学のなかで明らかになってきたのである。それは、いわゆる「言語論的転回」という学問的なパラダイム転換から大きな影響を受けている。言語論的転回を非常に単純化して言えば、言語はそれ独自の構造を持っており、今まで考えられていたような現実を純粋に写し取るツールではない、という認識の広まりである。私たちが考えたり誰かとコミュニケーションを取ったりメモを取ったりする時に使う言語、この言語こそが不透明だったのである。

 

ヒストリーじゃなくてストーリー

となると問題は非常にややこしくなる。過ぎ去った過去のことは良く分からないなんて生易しいものではなく、そもそも私たちは常に言語という不透明なフィルターを通じてしか現実の世界を認識することが出来ない。つまり過去以前に今この瞬間における認識すらも不完全なものだったのだ。

この問題にぶち当たった時の歴史家の絶望たるや想像を絶するものであった。ある者はその問題がなかったかのように振る舞うかと思えば、ある者は「歴史は小説と同じフィクションだったんや!」とのたまう始末。ちなみに前者は素朴実在論(=現実は存在していると素朴に想定し言語の不透明性は考慮しない立場)と呼ばれ、後者は物語論(=言語の不透明性によってありのままの現実には到達できないので「すべての歴史は物語=ストーリーと等価である」とする立場)と呼ばれている。

 

歴史認識問題の誕生

「なんのこっちゃ!」と思った人はちょっと待ってほしい。話はここで冒頭の疑問としっかり繋がるのだ。歴史が小説と同じフィクションに過ぎないのなら、自分たちに都合の良い歴史を作り出せばいいじゃないか、という発想が言語論的転回によって可能になる。そして実際に何が起こったかはみなさんご存知の通り、ここに歴史認識問題が誕生したのである。

歴史家が最大の武器としていた史料も言語の不透明性の前には単なる構築物=言語によって作られた虚構に過ぎないとされ、実証性という基準で様々な主張を否定することが難しくなってしまった。これによりドイツではホロコーストはなかったと主張する人々が現れはじめ、日本では南京大虐殺や従軍慰安婦の強制性を否定する人々が現れたのである(上野編2001)。こうした状況をどう考えるかはそれぞれ読者に任せたいと思うが、こうした具体的なプロセスを経て歴史は認識の問題として成立することが可能になったのである。

ここでもう一つだけ皆さんに知ってもらいたいことがある。それは、南京大虐殺があった/なかったという立場を感情的にただ選択するのではなく、そもそもそういった選択肢が可能になったプロセス=歴史学における言語論的転回を知ることで、私たちはより基底的な「歴史とは何か?」という問いへと向きあうことも可能だということである。そしてその問いに対する答えは歴史家だけが特権的に持っているものではないということも併せて知っておいてもらいたい。

[参考文献]
上野千鶴子編,2001,『構築主義とは何か』勁草書房.
平英美・中河伸俊編,2006,『新版 構築主義の社会学――実在論争を超えて』世界思想社.

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