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人気アニメ「Free!」の舞台モデルとされ、アニメファンの“聖地巡礼″でにぎわう鳥取県岩美郡岩美町の巡礼スポットに、ファンが書いたとみられる落書きが見つかり、問題になっています。こういった問題に象徴されるように、観光客が観光地の環境や文化を破壊してしまう存在であるということはしばしば指摘されています。

 

観光客による文化破壊

観光客の文化破壊として問題が指摘される事例には大きく二つの種類があります。一つは今回の事件のように、観光客が何らかのアクションを行うことで直接的に文化を破壊してしまう例です。建造物の破壊、行事の妨害などがこれにあたります。

もう一つは観光客の期待による間接的な文化破壊です。こちらの記事(『人はなぜ旅に出るのか、旅ブームの理由』)でも書いた通り、観光客は特定の場所を訪れる前に何らかの下調べをしてその場所を訪れます。そして、ガイドブックなどで下調べした通りの景色や行事を期待しています。そうすると、現地の人々は韓国客の期待した通りの振る舞いをするようになります。観光客が期待し、現地の人々が期待に応えて文化をつくることで元からあった伝統的な文化が破壊されてしまう、というのが間接的な文化破壊です。

さて、本当に観光客が流入することである国や地域の文化は破壊されてしまうのでしょうか。たしかに、前者の場合はそうであると言わざるをえません。そもそも文化遺産を壊したり、お祭りなどの行事を妨害することは犯罪行為にあたりますし、一方的に文化遺産や行事を破壊することは創造的な行為とは思えません。

 

「伝統的な文化」は存在するのか 

しかし、後者の観光客の期待による間接的な文化破壊に関してはどうでしょうか。後者に関しては二つほど考えなければならないポイントがあります。一つは、観光地の人々はそんなに従順なのかということです。文化人類学者の太田好信氏は、戦後の沖縄で社会的地位が低かった漁師の人々が観光業の発展によって自己アイデンティティを再構成していったことを例に出しながら、観光がつくる新たな文化の可能性について論じています。

たしかに、観光客が訪れる地域の人々もある種の戦略性を持ちながら、観光という行為を自地域の発展や新たな、よりよい文化の創出、そしてアイデンティティの創出に役立てていくことが可能です。

もう一つは、観光客のある種の「期待」によって伝統的な文化が破壊されてしまうという批判が前提としている、「伝統的な文化」というものが本当に存在するのか、という指摘です。イギリスの文化人類学者ボブズボームは、我々が言う「伝統的な文化」というものは近代の産物にすぎず、資本やメディアがつくり出したものであると指摘しています。

 

バリ島のケチャの場合

たしかにインターネットはもちろん、紙媒体が普及する以前は国家や地域という広い範囲で私たちがある一つのものを自分たちのルーツであると意識することは原理的に不可能だったということはわかります。

情報を伝える媒体が無ければ、言葉によって伝えられる範囲でしか共通の認識をつくることができないからです。すなわち、印刷された文字や、写真のような遠い場所にも形を変えずに届けることができる媒体が無くてはある範囲に共通文化意識をつくることは難しいのです。

たとえば、バリ島の文化の中枢を担う「ケチャ」という儀式は実は近代以降につくり出されたものなのです。「ケチャ」はバリの人々ではなく、ドイツ人のワルタール•シュピースがつくり出しました。彼は、1927年に初めてバリを訪れ、バリの神話的な世界やトランスに興味を持ちました。

そして、『悪魔の島』という映画の音楽として現在のケチャの形をつくり出しました。この例ではケチャがバリの内部の人からも内部の人からも伝統的なものだと思われている理由が明らかに資本とメディアの力であるということがわかります。

 

これからの観光の話をしよう

歴史学者のジェームズ•クリフォードは「伝統的な文化」が過去に存在し、現在それらが外部からの影響によって失われているという主張を「エントロピックな語り口」と呼びました。エントロピーとはもともとは熱力学、および統計力学上の概念で、「乱雑さ」の度合いを表す指標です。

「エントロピックな語り口」では元々純粋で不純物を含まなかった地域の文化が外部からの影響を受けることで不純物を含み、乱雑な存在へと変化し、壊されていく様子が示されます。また、クリフォードは同様に同じようにある文化が外部的要素を取り込むことで新しい文化が発生しているという語り口を「発生の語り口」と呼んでいます。

僕個人としては、これからは「発生の語り口」で未来をつくっていきたいと考えています。「伝統的な文化」が実質的に存在せずとも、人々の間で「伝統的な文化」であると信じられ、心のよりどころとなっている例があります。それをわざわざ否定する必要もありません。しかし、それらに過度に縛られ続けない形で、もちろ観光客が地域の人に対して嫌なことをしないような形で、観光を文化生成プロセスの一部として捉えながらやっていくのが良いのではないでしょうか。

[参考文献]
•ボブズボーム,E、『創られた伝統』、前川啓治,梶原景昭訳、紀伊国屋書店、1992年
•ジェームズ•クリフォード『文化の窮状-二十一世紀の民族誌、文学、芸術』、太田好信訳、人文書院、2003年
•太田好信、『文化の客体化-観光をとおした文化とアイデンティティの創造-』、民俗学研究57/4、1993年
Photo by John Y.Can

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