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今月8日、戦前の修身教育の指針となった「教育勅語」の原本とみられる文書がみつかったという文部科学省の発表がありました。

教育勅語というと、一般的には、天皇への忠誠を誓う、日本のナショナリズムの象徴という否定的な見方がされることが多いです。しかしながら、一定の側面から教育勅語を肯定的に捉える考え方もあるということをここで紹介したいと思います。それは、日本に生まれた国民国家の考え方を表しているという見方と日本の人権思想の基盤となった江戸期からの儒学の到達点としての意味を持つという見方です。

 

「臣民」の捉え方

国民国家の考え方を示しているという見方は以下のようなものです。教育勅語には「臣民」という語がみられます。一般にこの臣民という語は、現代の主権が国民に存するという思想との対比で、天皇が主権を持ち家臣、つまり支配されるべき国民を導くという意味で捉えられます。

しかしながら、「君=天皇」と「臣=官吏」と「民=国民」が存在し、従来の支配するのが君と臣、支配されるのが民という考え方、つまり「君臣/民」の考え方から、君があり、臣と民がともに統治に関わるという意味で臣と民をくっつけ、同一視する考え方、「君/臣民」の考え方への変化が、臣民という語には表れているという説があります。

これにより、民は国家や君に忠誠心がなくとも年貢さえ納めていればよい統治の対象から、国家や君に忠誠を誓いながらも国家の統治に関わる主体へと変化したと考えるのです。ここに国民が統治の主体となる国民国家の考え方が日本に生まれていたことが示されているという見方です。

 

教育勅語と儒学

もうひとつの儒学の到達点という見方は以下のようなものです。しばしば江戸時代に幕府が推奨していた儒学が近代化を妨げたといわれることがあります。しかし、近代化に欠かすことのできない自由民権の思想の基礎に儒教の思想があるという見方もできるのです。

「民約訳解」を著して、ルソーの社会契約論を日本に紹介した中江兆民という人物がいます。彼は、日本の自由民権運動の理論的指導者としてしられていますが、一方で、儒学の研究にも熱心であったと言います。そのため、彼の自由民権思想は利害というものを利と義に分けて考えるがこれは儒学のひとつである朱子学と共通する考え方である。

このように儒学の思想があったことが、日本が近代的な自由民権の思想を需要する基礎となり、そして、その日本儒学のひとつの到達点が教育勅語の内容に表れているという考え方です。

 

現代の法案などを考える上でも欠かせない視点ですが、ひとつの文言は、いくつかの考え方をもつ人々がそれぞれの思想を反映させた妥協の産物です。それゆえ、教育勅語ひとつとっても、国家主義の思想も真実なら、国民国家、儒教という思想をこの文言に持たせようとした人がいることもまた一つの真実ではないでしょうか。

[photo by Jesslee Cuizon ]

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