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4月17日付の朝日新聞によると、子どもの喫煙やたばこの購入を止めず、2013年に未成年者喫煙禁止法違反容疑で書類送検された大人が1259人にのぼることが警察庁のまとめで分かったそうです。

 

「しない」ことが罪になる

一般的に、罪を犯すというと、人を殺すであったり、物を盗むであったり、何か法律に触れることを「する」イメージが強いです。しかしながら、今回の発表では、喫煙や購入を止めない、つまり「しない」ことが犯罪とされています。こうした、「しない」ことを刑法の世界ではどういうようにとらえるのか、今回それを考えてみたいと思います。

刑法の世界では、このように「しない」ことにより成立する犯罪を「不作為犯」といいます。それは、「するべき」であり、「できる」にもかかわらず、「しない」ということは、何かを「する」という判断と同じ程度の判断をしており、その判断が社会に悪い結果を生むなら、それは「する」ということと同様に罰せられるべきだからです。冷蔵庫にケーキがあり、食べることも食べないこともできたのに食べないということは、立派に自分の判断として食べない選択をしていますよね。それと同じことが言えるのです。

 

不作為犯の条件

そして、その「しない」判断が罰せられるのには、「するべき」という義務と、「できる」という可能性が必要です。募金をしないことは、それが義務ではないから非難されないですが、飲食店で食事代を払わないことはそれが義務だからこそ非難させるのと同じです。また、可能性というのは、できないことを要求し、しないからと言って非難することはおかしなことですよね。

たとえば、川でおぼれている子どもがいて、それを発見した人はその子を助ける義務が発生します。しかしながら、泳げる人が泳いで助けないことについては非難できても、泳げない人に「泳いで助けに行け」「やらないのは犯罪だ」というのはどう考えてもおかしな非難です。

このように、作為義務があり、作為可能性があるのにもかかわらずしないことを刑法では不作為犯と言います。今回の未成年者喫煙防止法では、保護者など親権をもつ者には、子を喫煙という行為から遠ざける義務があり、親として止めることが出来たのにもかかわらず、子の喫煙を止めなかったことが社会的な非難の対象になり罰せられることとなりました。

 

皆さんも、もしかしたら知らないうちに法を犯してしまうことがあるかもしれません。ちょっとだけ、自分にはどういう義務があるのかということを考えてみるのもいいのではないでしょうか?

[Photo by LYRICS LIES & LATITUDES ]

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