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誰がゴミを捨てたのか?

ブラジルW杯が佳境を迎えています。日本代表は無念の予選敗退となってしまいましたが、一方で現地へ応援に行った日本人サポーターがゴミ拾いをしたことが話題になりました。

これは特にネット上で話題が広まっていますが、ゴミ袋を持ったサポーターが観客席のあいだを歩いている写真は、国内だけでなく海外からも反響を呼びました。「日本は試合には負けたが、サポーターは大きな勝利を収めた」と、海外のメディアで報道されています。

更にこの行動を、Jリーグでのサポーターの様子や、日本代表が試合後にサポーターへ挨拶をすることと絡めて、「日本人の礼儀正しさが現れている」として紹介している海外メディアの記事もあります。

日本人のマナーの良さ、礼儀正しさを賞賛されることは、素直に嬉しいものです。そしてこのゴミ拾いの行為自体もまた素晴らしい行為です。ただしこの話題、注意して受け取らないといけません。

見落としがちですが、ゴミを拾ったのが日本人ならば、意図的にであれうっかりであれ、ゴミを捨てたのもまた日本人でしょう。では、ゴミを拾う素晴らしい日本人と並べられたときに、ゴミを捨てた人々は何と言われるでしょうか?

常識的なところでは、まあ人間ちょっとした間違いや、面倒くさいと思う事はある、と寛大になることもできるはずです。しかしともすれば、ゴミを捨てるとは礼儀に反する人だ、日本人ではない、と言い捨てられてしまうことだってあり得ます。いや、現にその瀬戸際にいるのです。

 

報道のなかの「見えざる裏のアイコン」

 ところで、果たしてゴミ拾いをすることにこそ、日本人の礼儀正しさが現れているのでしょうか?むしろ「日本人サポーターはゴミを捨てないよう気をつけていたので観客席にはゴミが残っていなかった」というほうが、控え目で日本的な礼儀正しさを表しているようには思われないでしょうか?

ひとくくりに礼儀が正しいと言っても、ファンの一部が表立って行動に出ることと、一人一人が見えないところで意識することでは、その質は微妙ながら決定的に異なります。

当然、この主張にはゴミ拾いをしたサポーターを貶める意図は全くありません。今回の報道では、日本人の礼儀正しさを伝えるときに「ゴミを拾う日本人」が分かりやすいアイコンとなったのです。

ここで重要なことは、「ゴミを拾う人がいた」という表現は、「他方でゴミを拾わなかった、ゴミを捨てた日本人がいる」という表現と表裏一体になっているということです。そしてわたしたち読者は、そのもう一方の人々、つまり「見えざる裏のアイコン」どのような目で見ているかに注意を払わなければなりません。

今回の報道は少し危ないのです。なぜならこの報道は、同じ日本人サポーターを敵味方で分けるように読まれてしまう可能性を多分に含んでいるからです。そして、既にそう読まれてしまっている。

 

排除と包含~「日本人」はいかにして作られるか

サッカーに関連したところでは、今年、浦和レッズの「JAPANESE ONLY」の垂れ幕が問題になりました。件の垂れ幕は浦和レッズのサポーターが作ったものであり、そのとき垂れ幕を作ったサポーターは「ゴール裏は自分たちのエリア。他の人たち、特に外国人が入って来るのは困る」と説明していました。

サッカーでもそれ以外のスポーツでも、ファンクラブでは一部で強い共同体意識が求められることがあります。<あるいはチームを盛り立てるスローガンやチャントに、共同体を意識させる言葉が入ることは、よくあることです。

ところで、このような共同体は恒常的に加入と脱退があって、構成がその都度変わっていきます。いつでも新しい人が入ってくるし、いつでも人が辞めていく。この不安定さは、とても普通なことです。あえて言うならば、共同体とは、基本的にその都度人々を包含しながら作られていく、と言うことができます。

先の垂れ幕、作者の言葉を見ると「自分たちのエリア」を強固にするために、「他の人たち、外国人」を排除する、ということになります。ゴール裏の共同体を頑丈に維持するべく浮遊している人々を排除する、という発想があったことが分かるでしょう。

排除して維持する」とは、冷静に考えれば異常なように映るかもしれませんが、しかし非常にありふれた、簡潔な発想でもあります。ともすればわたしたちも使ってしまう発想です。そうすることで面倒ごとを丸ごと回避することができるからです。

ゴミ拾い報道に話題を戻します。例えば今後、アウェーでサッカーの国際戦があったとして、試合会場でゴミを捨てて帰る日本人サポーターがいたという話題が拾われてしまったとき、どのような反応が起こるでしょうか。この報道がクローズアップされている以上、過剰に叩かれることは間違いないでしょう。

あの垂れ幕が、とても素朴な発想で作られるのです。それが日本人という話題に置き換われば、事態はもっと深刻です。今やわたしたちは、ゴミ拾い行動のなかにナショナリズムの問題を見ています。先も書いたように、今回のサポーターの行動はたいへん素晴らしい行為です。

ただし、それが記事となって報道されるとき、私たちは記事の表面にいる人々とその裏の見えざる人々に注意を払い、それぞれがどう分類されてしまうかを、見落としてはいけません。

[Photo by benman31]

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