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今度Credoでやる連載企画の趣旨を説明します。前置きがとても長いですが、連載をやる意義や理由を明らかにしておくことはとても大切なことだと思うので、ここに記します。

 

聖なる天蓋とは

人はなぜ恋をしたり、旅に出たり、神を信じたりするのか。その一つの答えが「聖なる天蓋を求めているから」というのが僕の考えです。「聖なる天蓋」というのはアメリカの社会学者ピーター•バーガーが宗教を表して用いた言葉です。かつて宗教は世界をすっぽりと包み込む天蓋(傘、ふた)のようなものでした。宗教が提示してくれる物語の上で、人々は生きる意味や意義、そしてアイデンティティーを与えられていました。

現代社会において、私たちの「聖なる天蓋」すなわちアイデンティティーや生きる意味•意義を与えてくれるものは何に代わったのでしょうか。人によっては宗教であり、旅であり、愛情であると思います。非常に多様化していて、一概には語れないというのが正直なところだと思います。まずは、こうして「聖なる天蓋」が多様化するに至った経緯を概観していきます。

 

日本社会のこれまで

日本の社会学者見田宗介によると、戦後の日本社会は大まかに3つの時代区分に分類することができます。1945年〜1960年代中頃までの「理想の時代」、1960年代後半〜1970年代までの「夢の時代」そして1970年代後半から現在までの「虚構の時代」です。

第二次世界大戦が終わった後の日本は、朝鮮特需(朝鮮戦争による好景気)をきっかけとして、焼け跡からの復興を果たして行きました。政治的にはアメリカが先導する民主主義と、ソ連が先導する社会主義•共産主義を支持する人に分かれ、政治的にも経済的にも「理想的な日本」が目指された時代でした。

そして日本は高度経済成長期を迎えます。1958年に東京タワーが建設され、1962年には東京オリンピックが開催、1970年に大阪万博が開催されます。こういった出来事はメディアによって大々的に喧伝され人々の夢をかき立てていきました。何かこの先にはひたすら明るい未来が待っているような感覚を人々が共有していた、まさに「夢の時代」でした。

1970年代後半に高度経済成長が終わりを迎えると日本社会に新たな変化が訪れます。例えば日本の主要産業は製造業などの第二次産業から、サービス業などの第三次産業へと比重を移していきました。こうした変化は人々の感覚にも影響します。

1980年代には戦後多くの人が求めていた「物質的な豊かさ」はほとんど全ての人にとって達成されます。そうすると次に「精神的な豊かさ」が求められるようになりました。精神的な豊かさを得る為に、人々は形を持たないもの、すなわち「記号」を消費するようになり、こうして「虚構の時代」は幕を開けたのです。

「記号」を消費するというのはあまりピンと来ないかもしれません。たとえば人々が「物質的な豊かさ」を求めていた時代には洗濯機のブランドはあまり気にされなかったと言います。しかし全ての人が洗濯機を持つようになると、企業は他社と差別化をはかるために、洗濯機に機能とは別の「意味」を加え始めます。

電気屋さんでよく見る「エコ」や「マイナスイオン」といったブランド•うたい文句はそうして加えられた「意味」であり、その「意味」を「記号」と呼ぶのです。私たちは機能を十二分に享受しているため、「意味」を求め始めたのです。

実体のあるリアルな“モノ”から切り離された「記号」が広告や情報を軸に再編成され、それによって社会が改変されていったのです。ファッションでも、ライフスタイルでも、社会的地位でも私たちの身の回りで「虚構の時代」の波にのまれていないものを探すことは難しいくらいの状況になっています。

前置きが長くなりましたが、こうして「虚構の時代」を迎えたことで人々の「聖なる天蓋」は多様化していったのです(注)。「理想の時代」「夢の時代」には「アメリカの民主主義」や「物質的豊かさ」といった大きな権威や具体的な形を持つ物に支えられていた天蓋が、「虚構の時代」においてはその支えを失っていきました。

「虚構の時代」においては、広告や情報を主体として「記号」が重要しされ、その「意義」や「重要性」が問われるようなことはほとんどされません。(例えば、「この化粧品を使うと綺麗になれる、では綺麗とは何か、綺麗になると何が良いのか」といった問いは続かない)そういった状況では、全てのものが「記号として異なる」という以上の差異が見いだせなくなります。全てのものが同じ価値になり、フラットになるのです。

フラット化された世界の中で人々は徐々に「聖なる天蓋」を失っていきます。どの「記号」を選ぼうと、「記号」は「記号」であり、実体のある「意義」や「重要性」を持つものではありません。「精神的豊かさ」を求める時代にありながら、私たちは、「精神的豊かさ」を支える「意義」や「重要性」を失っていったのです。

 

現代社会の想像力

「虚構の時代」において、人々が新たな「聖なる天蓋」を探し続けている状況が日本における現代社会であると言えます。1980年代以降多くの学者、批評家、思想家によって「聖なる天蓋探し」の分析や、新たな「聖なる天蓋」の提案が行われてきました。

そうした議論は大きく二つの主張に分類できます。一つを「浮遊主義」、もう一つを「決断主義」とここでは呼びます。前者の論者としては宮台真司(前期)、大塚英志、最近では古市憲寿があげられます。後者としては、東浩紀、宇野常寛、かなり毛色は異なりますが小林よしのりなどがあげられます。

前者はフラット化した世界の中で、「何も決めずに生きること」「大きな意義や意味を求めずに日々の快楽を消費しながら生きること」を提案します。フラット化した社会の中で人生や自己の意義や重要性を求め始めると泥沼にはまり込んでしまうことを織り込み済みで、ある意味で諦めて、大きな意味を求めずにただ日常を浮遊するように生きることを提案するのです。

例えば宮台真司は著書『終わりなき日常を生きろ-オウム完全克服マニュアル-』の中で、「浮遊主義」的生き方の具体例として当時の女子高生を取り上げています。宮台は当時のテレクラやブルセラショップに通う女子高生たちを、未来や自分に対する過度な幻想を抱かずに生きる、フラット化した社会に適応した存在として肯定的に捉えています。

一方「決断主義」は「究極的には全て無根拠なことを織り込み済みであえて」(宇野常寛)何かしらの主義や主張を選び取りながら生きる生き方のことです。例えば、宇野常寛は著書『ゼロ年代の想像力』で右翼、左翼といった主張は究極的には等価値であると述べています。

フラット化した社会においては、究極的に存在する違いは「どちらの記号を選んだのか」というだけであり、本質的な価値の違いを追求することはできないということなのです。そうした状況の中で、“あえて”何かを選び取って生きるのが「決断主義」的な生き方です。

「決断」の対象がある人にとっては政治主張であり、またある人にとっては宗教であり、恋愛であり、旅なのです。

 

彼らの分析方法

こうした考察の背景にはどういった分析がなされているのでしょうか。大塚英志、東浩紀、宇野常寛らは現代社会のリアリティを捉える為にほとんどの場合ドラマ、マンガ、アニメ、ゲームといったカルチャーを題材として分析を行っています。

「カルチャーは所詮人間が意図的に創り出したものであって、非常に個人的、恣意的なものである。よって社会の在り方を捉える為の手段とはなり得ない」という批判も多くあります。確かに多くのカルチャーは個人や組織の恣意性が力を発揮して創り出す部分があります。

しかし、そうして創り出されたカルチャーが人々に受け入れられて消費されていくようになったということは、すなわちそのカルチャーが社会に生きる人々の欲望を捉える何かを持っていると考えるのは妥当です。

一方でカルチャーを題材として社会を分析することには限界もあります。一つはマンガやアニメは創られて、残るものですからそれを分析することはある程度過去のことしか分析できないということです。そして、カルチャーを題材に社会を捉えるということは、人々の在り方や欲望を究極的には間接的にしか捉えられないという弱点もあります。

そうした意味で、援助交際をする少女たちに直接聞き取りを行って社会分析を行った初期の宮台真司の仕事は、分析のリアリティが高く、社会に大きな衝撃を与えたのだと思います。

 

これからやりたいこと

前置きがとても長くなりましたが、これからカルチャー分析に偏重しがちな社会分析の状況の中であえて、聞き取りを主な手段として、特に若者の「聖なる天蓋」=人生やアイデンティティーの拠り所について考えていきたいと思っています。

「聞き取りによってわかるのは若者の主観的な感覚だけではないか」「果たしてその方法で聖なる天蓋を明らかにすることができるのか」という批判がきそうですが、“神は細部に宿る”ならぬ“全体は細部に宿る”の精神の下、聞き取りの中から社会全体に共通する思想や構造を考察していきたいと思います。

これから旅、宗教、恋愛などいくつかのカテゴリーに区切って連載を進めていきます。ご期待ください。

 

(注) 「聖なる天蓋」の多様化の原因としてはこうした社会的•経済的な変化だけではなく、宗教的権威の衰退、冷戦の解消などいわゆる「ポスト•モダン状況」と言われる様々な背景があるのですが、紙幅上ここでは割愛します。

[参考文献]

宇野常寛,2011,『ゼロ年代の想像力』早川書房.

遠藤英樹・江藤茂博・松本健太郎,2013,『メディア文化論』ナカニシヤ出版.

大澤真幸,1996,『虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争』筑摩書房.

大塚英志,2012,『物語消費論改』アスキー・メディアワークス.

薗田稔・ピーター・L.バーガー,1979,『聖なる天蓋―神聖世界の社会学』新曜社.

古市憲寿,2011,『絶望の国の幸福な若者たち』講談社.

見田宗介,2006,『社会学入門―人間と社会の未来』岩波書店.

宮台真司,1998,『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』筑摩書房.

photo from 描かれた空•天窓

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