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母親への非難

横浜市で3月に起きた殺人事件について、当時2歳の山田龍琥(りく)くんへの殺人容疑で元ベビーシッターの男が再逮捕されました。事件発覚当時、様々な分野で話題になり、一部の人々からは他人に自らの子どもを預ける母親を非難が沸き起こりました。

自民党の杉並区議会議員、田中ゆうたろう氏は3月18日のブログで次のように書いています。

”大切な子宝を乳飲み子のうちから赤の他人に預けて憚らない風潮は、なぜ当然のようにまかり通っているのでしょうか。こんな風潮は、そろそろ止めにした方が良いと思うのです。”

出典:田中ゆうたろうブログ

また、新党大地代表の鈴木宗男氏は朝日新聞の取材に対し、次のように応えています。

”子どもを人様に無防備で預ける感覚が分からない。女性には、男にはない愛情や優しさがある。子どもを守るのが女性の自然な姿。ベビーシッター事件の女性の取った態度は全く不可解だし納得できない」”

引用元:朝日新聞7月26日朝刊

この二者の発言は「女性は本来子どもを自らの手によってするべきである」、鈴木氏の場合はさらに「女性には母性本能が生まれつき備わっている」という前提に立っています。今回の記事の主題はこの「本能」と私たちの社会はいかに向き合っていくべきかについてです。

 

母性本能とは

そもそも「本能」とは、生物学的には生まれた後の環境によらず元々遺伝的、生得的に備わっている行動特性を指します。例えば、食欲、睡眠欲、性欲も本能の一種であると言えます。

母性本能は「母性」の「本能」ですので、これが女性に備わっていると言った場合、女性には生まれつき母性(子どもに愛情を注ぐ欲求)が備わっているという意味になります。

今回のような母性本能についての議論は、「分類学の父」として有名なカール•リンネが起源だと言われています。リンネは18世紀に母性本能を持ち出しながら当時の乳母による子育てを否定し、子育ては実の母親がするべきだと主張しました。

 

社会は本能に従うべきか

さて、私たちの社会において女性が母性本能に従うべきかどうかを議論することに先立って、わかりやすさの為に最も核心的な下記の二つに論点を絞りました。

(1)母性本能は女性なら誰にでも備わっており、変えられないものである

(2)私たちの社会は本能に沿って運営されるべきである

例えば、上の問いに対する答えが両方ともイエスである場合は「女性は本能に従って自分の子どもの世話をするべきである、社会的にもそのための制度設計がされるべき」という結論が導かれます。

(1)の問いに関しては、最近の生物学者の間では「ノー」というのが一般的だそうです。なぜなら、本能はこれまで考えられていたよりも大きな力を持っておらず、生物の生き方は本能と生まれた後の環境の複合的な要因によって決まるからです。

すなわち、本能のみによって人間の欲求のあり方が決まるわけではないということです。様々な生物の観察によって確かに母性本能は存在することが確認されていますが、しかしそれは生まれた後の環境によって変化することもあると言います。

(2)に関しても、これまでの人類社会の歴史を紐解くと、「ノー」であると言えます。なぜなら、法律や政治制度など私たちの社会を安定して運営するための制度はどれも「本能に従うこと」を目的にして作られたものではないからです。

むしろ、私たちの社会制度はいかに個々人の本能を抑制するかということに主眼がおかれています。法律も政治制度も私たちの社会制度は本能ではなく、「いかに善く生きるか」「理性的であるか」といった本能に相対する理念によって作られているのです。

 

さて、ここまで見てきたように母性本能は人間にとって絶対のものではない、そして社会は本能の解放を目的として運営されていないということがわかりました。

こうした前提に立つと、先にあげた二者の「子どもを守るのが女性の自然な姿。」=「女性は本能に従って自分の子どもの世話をするべきである」といった主張は妥当ではないことがわかります。

こうした問題について安易に本能論に帰着させるのではなく、女性の社会進出が進むなど社会の状況が変化する中でどのような社会制度を作っていくべきなのか、という議論をすることが私たちにとって重要なのかもしれません。

Photo by banspy

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