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始めに…

今回、「コノクニノクウキ 私の生き方編」と題して連載を持たせてもらう事になった。若者たちの生き方にフォーカスしていく。

普段の会話からお固い評論まで、僕たち若者は様々な領域でカテゴライズされている。「ボランティア」「留学」「飲み」「旅」「バイト」「起業」「パチンコ」「麻雀」「サブカル」など、挙げたらきりがない。

究極的にこれらのカテゴリーは「意識高い系」と「それ以外(意識が低い系)」として分けられることが多い。(前提条件として知ってもらいたいのは、このインタビューにおける「意識が高い」というのは学生起業、学生団体などの活動をやっているようなことである。)

宮台真司は1980年代当時、今で言う「意識高い系」と「それ以外(意識が低い系)」の若者たちを当時の時代背景にあわせて、「新興宗教(オウム真理教など)に入信しちゃう人、自己啓発セミナーに通う人」と「茶髪でピアッシングのクラバー・キッズ、ブルセラ女子高生」と言った具合にカテゴライズしていた。 こうしたカテゴライズは今に始まったことではないのだ。

メディアに取り上げられる際には前者は個体論的に、後者は集団論的に扱われがちである。前者は学生団体の代表が「衝撃的な出来事があって価値観が崩壊した」などを述べているインタビュー記事。後者は「W杯敗戦時にハイタッチをしていた若者」「投票に行かない若者」などが挙げられる。

今の日本社会では前者の生き方が美化されていると感じるのは僕だけではないはずだ。「意識高い系」のライフスタイルが美化されるのは、アメリカで未開拓地域を開拓していった西部開拓時代のフロンティア精神が美化されていたこと同形ではないかと感じる。

つまり、社会の不安定性や先行きに対する不安高まるとリスクを恐れず、チャレンジ精神を持ち、行動する者が正義であるという考えが蔓延していくのだ。資本主義社会の成熟やグローバル化の影響で、「何を目指していくべきか」という社会全体の前提条件が不透明なのにも関わらず、前者だけを美化することはあまりに妄信的だ。

昔から多くの世代論が語られてきた。しかしながら、メディアは”◯◯世代”という集団単位で語ることが多く、集団に含まれる一人一人の”人間”に地道に話を聞いていくような取材はなされてこなかった。

それに加え、メディアが個人にフォーカスして取り上げるのは「意識が高い若者」が多く、世の中の大半を占めている「それ以外の若者」に焦点があたる事は少ない。この連載では今の若者のありのままの生き方にフォーカスし、地道なインタビューから若者の様々なライフスタイルを分析していこうと思う。

今回インタビューに答えてくれたのは、地方国立大学に通う4年生のしょうご(仮名)だ。彼はまだ就職先が決まっておらず、留年してもう一年大学に通う予定だ。

 

—この大学を選んだ理由はなんですか?

この大学に来た理由なんてないですよ。まあ、唯一挙げるとしたら、第一志望の二次試験をミスったから、流れで…

—大学ではどのような生活を送っていますか?

今は普通に単位とっていますよ。1,2年の時に遊びすぎて今、ツケがまわってきています。けど、テストとかはテスト前にちゃちゃっと勉強すればなんとかなるんで、余裕です。あとは友達と飲んだり、スロットしに行ったりしていますね。大学自体はすまんないっすよ。

—大学をやめたいって思った事はありますか?

いや実を言うと進学したこと自体、失敗なのかとよく思う事があるんですよ笑授業の内容は理解できるんですけど、そこに意味を感じられないんですよね。

やめたいって常々思ってますよ笑けど、やめなかったのは仲間がいたからですかね。僕の大学生活なんて自分では誇れないですけど、唯一誇れるとしたら、サークルの仲間たちです。

パチンコとかより、そいつらとバカやったこと。それが最高の思い出です。大学の時だけじゃないですね。中学の時も高校の時も部活の大会とかより仲間との思い出が心に残っています。

—夢はありますか?

小学生の時はゲームメーカーに入りたかったんですよ。自分で面白いゲーム作りたいって思っていたんですけど、中学に入って、友達がたくさんできると、一人でゲームするよりもみんなで遊んだ方が楽しいってことに気がつきました。

就活の事はまったく考えていないです。今思っているのは友達と映画の「まほろ便利屋」みたいなことしたいなと思っています。競争は嫌いなので友達とゆるく、バカなことしながら、最低限のお金稼ぐみたいな。

—必死になれることはありますか?

パチンコに関しては必死です。朝早く起きて、パチンコ屋の前に並ぶには当たり前です。スロットの台を選ぶのに2、3時間待つ事だって稀にあります。家でも、サイトをしっかり見て期待値とか調べています。僕は毎月10万円稼ぎたいので、計算高くやっています。目標を決めて、負けないように。

 

ナガレに身を任せる生き方

「意識が高い若者」にとってのリスクは、経済的な成功を収められないことであったり、何か大きなことを成せないことだったりするように思えるが、彼にとってはそんなことはどうでも良くて、友達との何気ない日常が失われることがリスクなのだ。

こういった彼の生き方は次の二つの考え方によって理解することができる。一つ目は社会学者の古市憲寿が述べている資本主義社会へのあきらめである。絶望の国と呼ばれる日本で競争することをやめ、身の回りのコミュニティーだけに承認されれば良いという考えを持って、生きているのだ。

二つ目は彼が安全基地を持っているということである。安全基地とは自己承認がされやすい環境のことである。その、一番の良い例が家庭だ。安全基地を持っている人にはある特徴があると脳科学者の茂木健一郎は述べている。

それは「根拠のない自信」をもっているということである。彼の発言の節々に「ナガレ」に身を任せる生き方、を感じる。大学に入る理由や、留年をしたこと、就活をしなくてよいといった気持ちなどがそれにあたる。

 

意識高い/低いという言葉の曖昧さ

「ナガレ」に身を任せて生きるというのは、根拠のない自信を持っていることの証明ではないだろうか。「人生なんとかなる」という気持ちが彼にはあるのだ。彼は、自信がないから行動しないのではなく、「人生なんとかなる」という根拠のない自信があるからこそ行動しないのだ。

経験の少ない若者が、起業したり学生団体を立ち上げたりといった行動ができるのは、同様に「根拠のない自信」があるからだ。

彼の自信が明確な事柄(起業など)に向いていないだけの話であって、彼のように「自ら進んで行動しないこと」も一種の行動と見なすならば「意識高い/低い」に関わらず、「根拠のない自信」という原動力は同じなのだ。

しかしながら世代論が語られる時は、彼のような若者は「集団論的」に解釈され「意識が低い」の一言でまとめられてしまう。そして、今回のインタビューで集団を因数分解していくと、彼の意識は世に言われている「意識が低い若者」のイメージとは異なっていた。

 

今後も様々な若者の群像劇を追っていく。

Photo by Jon Siegel 

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