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前回の記事『エモーションの時代を生きる〜あなたの「感情」はいくらですか?〜①:スマイル0円の功罪』では、感情社会学の知見を引き、昨今溢れる自己啓発本やらコーチングやらを「エモーショナル・インテリジェンス」として名指しし、「人は本当に、感情を自分で完璧にコントロールすることができるのか」という点を主題化した。

今回は、雑誌ananの記事を類型分析し、感情、内面、精神、気持の持ち方といった個人の「ココロ」が社会においていかに前景化しているかを確認しよう。

 

ファッション雑誌と大衆誌の二面性をもつanan

さて、wikipediaによると、ananは「いわゆるファッション雑誌」であるとされる。よって、服装の記事がメインとなることは想像に難くない。だが、実際に閲覧してみると、服装以外の特集記事の豊富さに驚かされる。

それもそのはず、ananは商業誌であり、その性格上、ファッションを評釈するための、いわゆる被服系モード誌とは異なるそうだ。

しかし、純粋に「ファッション」を希求していないが故に、社会の潜在的ニーズに柔軟に対応してきたともいえる。それ故、社会の状況がより色濃く反映されているとも言えよう。

以下、いかにananが「ココロ」を重視しているかを、筆者が取得した2012~2014年度のananのうち、より色濃く「ココロ」を題材にしていた記事が見られた2012年度の記事から抽出する。

 

カラダvsココロ

ananの記事を概観し、二つの類型を見いだした。まずは「ファッション」に関係して、「カラダ」に関する記事。「ファッション」以外の外見や身体の調子などにまつわる記事である。

具体的には「効果、費用、ダウンタイム全調査 美容皮フ科」(2012.9.5)「肩がこる、疲れやすい、生理が憂うつ…etc その不調を治したい!!」(2012.4.18)「肌と髪 思いこみ カン違い 解消BOOK」(2012.5.30)等がある。

「カラダ」に関しては、ファッションの延長線上にあるものとして、理解できる。

しかし、記事内容はそれに留まらない。対立類型である「ココロ」たる内面の心理状況も、ほかならぬ「ファッション雑誌」が扱っている。最たるものが「江原啓之の幸せの切符」という連載で、スピリチュアリスト江原が語っている。

テーマは「何気ない日頃の言動が『運命』を削るのです」(2012.9.5)「辛いことが起きたときこそ自分磨きのチャンス」(2012.9.26)という、いかにも自己啓発的な文章から始まり、他にも「”お墓参り”に行けないときは亡き人を心で想うことが大事」(2012.5.30)という、もはや「ココロ」どころじゃなくスピリチュアル全開な内容まで、幅広い。

他にも、恋人ができない理由を「心の在り方」に求める記事も散見された。例えば「恋ができない理由もソコに…?“甘え下手大人女子”が急増中」(2012.5.23)や、「意外と多いオクテ女子。頭で考えすぎないで」(2012.12.26)など、他にも「イライラの原因はどこにある?あなたのストレスタイプと対処法」(2012.9.26)という記事もある。

極めつけは「本当の自分がわかれば人生が変わる! 話題のメンタル講座を体験してみた」(2012.9.26)という、自己改造セミナーの紹介まである。

 

記事が排除しているもの

考察する。まずはananが狭義の「ファッション」雑誌の域を越えていることに注目しよう。そこで話題として扱われているのは、「ファッション」のことに限らない。そして、恋がうまくいかない原因として、「内面」の働きがあるという前提を、暗黙の裡に仮定していることに留意されたい。

そういった問題の解決策まで提示するのは、「ファッション」的な解決ではない。だがともかく、それも話題に繰り入れている。

また、記事を貫く前提として排除されているものがある。例えば、読者と想定されている20代女性自身の職業については、全くといいほど前提になっていない。特集として男性の方では「医学系男子の人気大研究」(2912.12.26)など、(医師のスナップ写真が羅列されていて図鑑みたいな趣であった)「お医者さん」等のカテゴリーを用意しているにも関わらず、である。

ここには、男女の描き方における非対称性がある。読者自身の「社会的地位」は不問に付されている。

更に、読者自身の客観的なキレイさも記事においては前提されていない。“恋愛がうまくいかない理由”は、現実には読者の社会的ステータスや、ルックスが大きな要因になっている可能性があるにも関わらず、それらは排除されている。

 

ファッション誌が扱う「ココロ」

「ファッション誌」であるはずなのに、ここまで「ココロ」が扱われている点自体が興味深い。ここにも、前回述べたような認識が宿る。

すなわち、全てが「ココロ」の問題として回収されているのだ。内面、心、感情といったものだけでは解決できない領域にまで、「ココロを変えよう!」といった解決策が導入され、その他の要素は隠蔽されている。

これら、現代を代表する雑誌にも、その記事においては当然の前提として「感情はコントロール可能である」という認識が垣間見える。

我々は再度問う必要がある。人は本当に「感情」を自分でコントロールできるものなのか。そしてコントロールできるとしたらそれは良いことなのか。

次回も文化表現を題材に論じていく。

*ananを対象としたより詳細な研究は牧野(2012)参照。1981年から2010年に至るまで5万件の記事を抽出して分析している。

[参考文献]
牧野智和『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探求』2012年、勁草書房

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