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2014年のノーベル経済学賞はフランスのジャン・ティロール氏に与えられました。

経済学の分野で、特に市場における寡占(Oligopoly)と契約条件に関する理論を、ゲーム理論など新しい方法論を取り入れながら精緻化していった点が主な受賞理由であるとノーベル賞委員会は述べています。

ジャン氏の研究実績はこのような一言ではまとめられないほど多岐にわたっていますが、本稿ではノーベル賞委員会が公表しているジャン氏の受賞に関する文章を大まかに訳し、その文章にそって同氏の研究を紹介していきたいと思います。

以下では文章内における項目を順に列挙し、該当する論文と関連付けてあります。

  • 公共サービス提供企業に対する規制について…Jean-Tirole and Jean-Jacques Laffont  “A Theory of Incentives in Procurement and Regulation “
  • プリンシパル・エージェント理論について(この項目は補足です)
  • 契約期間の長さについて…Xavier Freixas, Roger Guesnerie and Jean Tirole  “Planning under Incomplete Information and the Ratchet Effect”
  • 規制当局の独立性について…Jean-Tirole and Jean-Jacques Laffont “The Politics of Government Decision-Making: A Theory of Regulatory Capture”
  • 競争と戦略的投資について
    • [技術特許について]Drew Fudenberg, Richard Gilbert,Joseph Stiglitz and Jean-Tirole “Preemption, leapfrogging and competition in patent races”
    • [投資の効果について]Jean Tirole and Drew FudenBerg, “The Fat-Cat Effect, the Puppy-Dog Ploy, and the Lean and Hungry Look”
  • 特定の市場における競争について…Jean-Charles and Rochet Jeat-Tirole, “Platform Competition in Two-Sided Markets”
  • 市場における垂直統合の意義について…Jean-Tirole and Oliver Hart,  “Vertical Integration and Market Foreclosure”

 

公共サービスを提供する企業への規制の困難さ

公共サービスを提供する企業が公営企業であるべきか民間企業であるべきか、これは非常に悩ましい問題です。

公営企業に任せて歪んだ市場にすることも、民間企業の積極的な参入によって健全な競争が行われた結果、人々に適切な公共サービスが与えられないことも、どちらも社会的に望ましくはありません。

バランスが取れるように多くの政府が価格規制などを実施してはいますが、ここにも問題があります。

一つには、公共サービスを提供する市場が少数の企業が支配する状態(寡占)になりやすいことです。従来の経済学で主に扱われてきたのは独占状態であり、寡占に関する考察はあまり進んできませんでした。

二つ目に、規制当局は企業が提供する公共サービスの質やコストなどを正確には把握できないという情報の非対称性問題が生じる点です。情報の非対称性問題”については次の項で説明します。

ジャン・ティロール氏はこの問題に対してゲーム理論行動経済学など新しい理論を援用して切り込みました。その中の一つにプリンシパル・エージェント理論があります。

 

プリンシパル・エージェント理論とは

経済学におけるプリンシパル・エージェント理論は雇用者と労働者の契約条件を理論化したものです。

プリンシパル、つまり雇用者はエージェントである労働者を自分の企業利益最大化のために雇いますが、労働者が意図通りに動かず労働者自身の利益を優先して行動してしまう問題が起きる可能性を抱えています(エージェンシー・スラック)。

この問題を回避するためにどのような契約条件が最適になるのかを考察するのがこの理論の主な目的とされています。

こうした問題が起きる原因は情報の非対称性にあります。情報の非対称性とは相手が持っている情報を自分が持っていない状態のように、情報の共有ができていないことを指します。

以下では情報の非対称性によって起きる問題を大別していきます。

・逆選択

労働契約を交わす前に雇用者が特性を知りえなかったために起きる問題は逆選択問題とされます。

企業が労働者を雇う際に労働者は自分の特性を理解していますが、企業はそれを知りえないとします。

そして一律な賃金契約しか出来ない場合には、企業は質の高い人と低い人が混じっていることを考慮して、賃金を払いすぎることがないように賃金契約を低い水準にします。

そうすれば質の高い労働者は過小評価されたと思ってその企業とは契約しないと考えられ、その結果として企業が雇えるのは能力の低い労働者に限られるということになります。

このように質の低い商品(労働市場においては労働力を商品として考えます)が質の高い商品を駆逐してしまう状況が逆選択問題です。

・モラルハザード

労働契約を交わした後に、企業側がその労働者の努力水準、つまり労働者がどれくらい仕事にたいして真面目に取り組んでいるかを観察できない場合に起きる問題はモラルハザードと言います。

定額賃金契約しか出来ないと仮定します。この場合、労働者は高い努力水準を発揮する必要はありません。

労働者はどんな労働をしようと同じだけお金がもらえるので、努力水準を高く保つためのコストを負わない方が自分自身の利益になるからです。

結果として、企業が雇う労働者の中で高い努力水準を発揮する者はいなくなってしまいます。

 

以上の問題はどちらも企業が労働者側に契約条件を選択させることで解決されます。

数学的に解説するには説明しなければならない前提が多くなりすぎてしまうので本稿では割愛致しますが、企業側が条件を上手く調節してやることで、最適状態よりもコストはかかりますが大きな損失を防ぐことが出来ます。

ジャン氏の研究実績の中でも特に評価されるものの一つとして、1993年にラフォント氏(Jean-Jacques Laffont)と共同著書で公共サービス提供企業に対する規制に関してプリンシパル・エージェント理論を応用した論文を発表したことが挙げられます。

企業側は、サービス提供時にかかるコストを規制当局に対して高めに報告することで、自分たちにかけられる規制を緩和することが出来ます。そのことによって利益を増大できますが、嘘の報告をしたことが判明した場合、企業は予めもらっていた余剰分を失うリスクを同時に孕みます。

行動経済学におけるプロスペクト理論では、人間は利得を得るよりも同じだけの損失をする可能性がある際には損失をより大きく見るという傾向があることが証明されています。

結果として、規制に関して得られる結論としては完全に無駄を排除した状態ではなく、少し規制を緩めた状態がベストであるという結論になります。

プリンシパル・エージェント理論の応用は以上の事柄に限らず同氏の論文で幅広く応用されています。

 

規制の期間がどのくらいであるべきか

規制の期間はどのくらいにすべきか、ということも重要な問題です。ジャン氏は1985年にフレイクサス氏(Xavier Freixas)との共同著書でこの問題に関する論文を発表しました。

得られる結論の一つに、契約期間は長いほうが合理的なコストのもとで適切な努力水準を達成させやすい、ということがあります。

短期間の契約では規制によって無駄を排除しやすくなりますが、それは逆に企業にとって契約を更新するたびに自分たちが生産活動を行うための条件が厳しくなるということでもあります。つまり契約破棄に至る可能性が上昇してしまうのです。

 

規制当局の独立性

規制当局の独立性に関する議論を発展させたのもジャン氏の功績です。

多くの場合、どのように規制するべきかという計画、フレームワークを設計するのは政府、つまり命令系統における最上位レベルであり、規制当局は設計されたフレームワークを実行するだけというのが殆どです。

しかし、政府、規制当局、企業というピラミッド構造がある場合、政府よりも規制当局・企業の方がサービスに関する情報量は多いと考えられます。より長い時間そのサービスに実際に接しているからです。

この時、政府側が適切な報酬を与えられるように制度を設計できていない場合を考えます、この時、規制当局と企業は共謀して政府に対しサービスに関する情報を隠します。本当は低いコストでサービスを提供できるのにもかかわらず高いコストでしかサービスを提供できないと政府に報告すれば、コストの差分だけ利益を増大させることができるからです。その増大した利益は共謀した規制当局と企業で分けられるでしょう。

ジャン氏は1991年にラフォント氏との共同著書でこのリスクを低減させるフレームワークの提唱を行いました。

 

競争と戦略的投資

ジャン氏はより広い視点に基づく競争的投資に関する研究も行っています。

技術特許を取得することで、他企業との競争において優位を示し競争が激化することを避けられることの理論的証明をリチャード·ギルバート(Richard Gilbert)ジョセフ·スティグリッツ(Joseph Stiglitz)ドリュー・フューデンバーグ(Drew Fudenberg )との共同著書で2001年に発表しました。

また1984年にフューデンバーグとの共同著書では、ゲーム理論を用いて他の企業が市場に新たに参入してくることを阻止するための戦略についての考察を行っています。

参入を阻止するために設備(生産能力)に過剰投資すべき場合とはどんな条件が成り立つ場合であるのか、その逆の状況として設備に過少投資して無駄を削って経費を抑える方向を目指すべき場合はどんな条件が成り立つ場合かについての論文です。

 

特定の市場における競争について

ジャン氏は一般的な場合における競争条件の考察に留まらず、特定の市場に関する考察も行っています。その中の一つに2002年にロシェ氏(Jean-Charles Rochet)との共同著書で発表したのがプラットフォーム市場に関する論文です。

プラットフォームとは主にITやゲーム業界で使われる用語です。ある特定のコンテンツを動作・表現するための場として考えて頂ければと思います。Credoのようなメディアもライターの考えというコンテンツを表明するための場、プラットフォームとして考えることが出来ます。

プラットフォーム市場ではプリンシパル・エージェント理論のように一対一の関係ではなく、多くの場合はプラットフォームで表現されるコンテンツの利用者とプラットフォームへの広告掲載主という双方向の取引が想定されます。

この場合、従来の規制理論は通用しない可能性があります。

例えば、新聞社の場合を考えます。以前、法律では、価格を生産コスト以下に設定する”undercutting price”は競争を歪めることに繋がるとして禁止されていました。価格競争が無闇に激化し、価格破壊を実施した企業が大きな損失を被るだけでなく、想定よりもかなり低い価格が主流になってしまった状態は他社に対する悪影響も大きいからです。

しかしこの規制は全てにあてはまるとは言い切ることが出来ません。新聞業界で考えてみると、読者を増やすために無料で新聞を配り、広告主にその分の損失を補填してもらうというのはしっかりと利益を上げているという点で競争原理に反していないからです。

このように一律の規制ではなくそれぞれの市場の特性に合わせた規制制度設計が必要であることを主張してきたのもジャン氏の重要な功績の一つです。

 

市場における垂直統合の意義

垂直統合とはある企業が製品を提供するために必要な工程のすべてを自社内に収めた状態を指します。例としては、iPhoneなどを手がけるアップル社などIT産業界が挙げられます。

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(出典:『日本の電機産業 何が勝敗を分けるのか』 25ページ 図表1)

上の図表でも分かるようにアップル社はデータセンター、コンテンツプラットフォーム、OS、CPU、ハードウェア生産といった製品生産に必要な工程を買収によって全て自社内に組み込んでいます。同様な動きを見せるのはGoogle,Microsoft,SONYなどです。

こうした垂直統合は市場における支配力を高めることに寄与すると考えられてきましたが、ジャン氏は1986年のパトリック・レイ(Patrick Rey)との共同著書、そして1990年のオリバー・ハート(Oliver Hart)との共同著書で分析を行っています。

市場の特性に応じて垂直統合がもたらす他社及び市場全体にもたらす影響がどのように異なるか、非常に丹念な考察がなされています。

 

広範な範囲に対しての貢献

以上、ノーベル賞委員会が発表した文章で紹介されている以外にもジャン氏の研究功績には様々なものがあり、同氏の受賞理由はとても紹介しきれないほどの広範囲に対する学術的貢献によるものです。

共同著書が多く、中でもラフォント氏との共同著書は非常に多いのですが、ラフォント氏は2004年に既に他界していたため共同受賞は叶いませんでした。

今後も、ジャン氏の研究動向に注目が集まることでしょう。

 

本稿はノーベル賞委員会が発表した一般向けの文章を大まかに翻訳し、随所を補足または割愛したものです。意訳を多分に含んでいるため、誤謬があれば後学のためにご指摘頂ければ幸いです。

専門性の高い解説についてもノーベル賞委員会が発表しておりますので、更に見識を深めたい方はこちらのリンクから御覧頂ければと思います。

Photo by Wikipedia

【参考文献】
*Jean Jacques Laffont and Jean Tirole, 1986年, Using Cost Observation to Regulate Firms(2014年10月21日, http://www.jstor.org/discover/10.2307/1833051?uid=2134&uid=2485226733&uid=2&uid=70&uid=3&uid=2485226723&uid=60&sid=21104971927143)
*The Royal Swedish Academy of Sciences, 2014年, The Prize in Economic Sciences 2014 (2014年10月21日, http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2014/popular-economicsciences2014.pdf)
*The Royal Swedish Academy of Sciences, 2014年, Scientific Background about The Prize in Economic Sciences 2014(2014年10月21日,http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2014/advanced-economicsciences2014.pdf )
*経済学101,2014年,タイラー・コーエン 「2014年度のノーベル経済学賞受賞者は・・・ジャン・ティロール!」 (2014年10月21日, http://econ101.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3-%E3%80%8C2014%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%B3%9E/)
*奥野正寛,2008年,『ミクロ経済学』,東京大学出版会
*日経BizGate, 2014年, 日本企業の興亡をかけた「垂直統合化」の戦い(2014年1月15日, http://bizgate.nikkei.co.jp/article/72095816.html)
*泉田良輔,2013年,『日本の電機産業 何が勝敗を分けるのか』,日本経済新聞出版社
*Jean Charles Rochet and  Jean Tirole,2002年,Platform Competition in Two-Sided Markets (2014年10月21日, http://neeo.univ-tlse1.fr/25/1/platform.pdf)
*Jean Tirole,2014年, Web Page Of Jean Tirole(2014年10月21日, http://idei.fr/vitae.php?i=3)
*Jean Tirole and Drew Fudenberg, 1990年, Moral Hazard and Renegotiation in Agency contracts(2014年10月21日, https://faculty.fuqua.duke.edu/~qc2/BA532/1991%20EMA%20Fudenberg%20Tirole%20renegotiation.pdf)
*Jean Tirole and Drew FudenBerg, 1984年, The Fat-Cat Effect, the Puppy-Dog Ploy, and the Lean and Hungry Look(2014年10月21日, http://www.nuff.ox.ac.uk/users/klemperer/IO_Files/Fudenberg%20and%20Tirole.pdf)
*Jean Tirole and Oliver Hart, 1990年, Vertical Integration and Market Foreclosure(2014年10月21日, http://dspace.mit.edu/bitstream/handle/1721.1/50143/28596063.pdf?sequence=1 )
*Daniel Kahneman,2011年,『Thinking Fast and Slow』,Penguin
*Jean Jacques and Laffont Jean Tirole , 1993年, A Theory of Incentives in Procurement and Regulation (2014年10月21日, http://books.google.co.jp/books/about/A_Theory_of_Incentives_in_Procurement_an.html?id=4iH4Z2wbNqAC&redir_esc=y)
*Xavier Freixas, Roger Guesnerie and Jean Tirole, 1984年,Planning under Incomplete Information and the Ratchet Effect (2014年10月21日, http://restud.oxfordjournals.org/content/52/2/173.short)
*Jean-Jacques Laffont and Jean Tirole,1991年,The Politics of Government Decision-Making: A Theory of Regulatory Capture(2014年10月21日,http://www.jstor.org/discover/10.2307/2937958?uid=2&uid=4&sid=21104867200447 )

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