スイスでは原発を受け入れると英雄?今、「原発観」を問い直す【衆議院選】

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今回の衆議院選挙の争点の一つに挙げられているのが原発問題です。例えば、政権与党の自民党は原発の活用を訴えているのに対して、野党は程度の差こそあれ原発反対の姿勢を示しています。

今回筆者は原発を廃止するか否かという議論の前段階として、そもそも原発が建てられるときはどうだったのかということに注目して議論を進めていこうと思います。原発や処理場の建設の際も、一筋縄で事が運んだわけではありません。原発と一言で言っても、議論は多岐に渡ります。

そこで、今回は日本の原発建設について補償金という観点から読み取っていこうと思います。

 

 補償金をめぐる相反する反応

日本において、原発の建設と引き換えに多額の補償金が地域行政に支払われていることは周知の事実だと思います。例えば、経済産業省資源エネルギー庁によると、原発を保持する各自治体に数億から数十億円の交付金が支払われていています。

補償金によって原発に対する地域の反発を和らげるというやり方自体は、日本特有のものではありません。例えば、1993年スイス中央部の小さな寒村が放射性廃棄物の処理場の候補に挙がりました。住民投票の直前に数人の経済学者が意識調査を行ったところ、「処理場の受け入れに賛成するか」という質問に対し、村民の51%が賛成と答えました。

しかしこれだけでは経済学者の仕事にならないので、彼らは次の項目を加えました。「処理場の受け入れに賛成したら、村民一人ひとりに補償金を支払う。この場合、処理場の受け入れに賛成するか」。賛成者の割合は増えるはずだと思いきや、結果はなんと25%と半減してしまったのです。

 

 補償金を拒否するのはなぜ?

なぜこのような一見不可解な現象が起こってしまったのか。NHK「ハーバード白熱授業」でおなじみのハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、この現象を英雄性という観点から説明しました。補償金が支払われないとき、国にとって必要な処理場を引き受けるという行為は一種の自己犠牲を伴い英雄的な行動ととらえられます。

しかし、補償金が支払われる状況になると、その行為はお金のためになされたものとして、一気に卑近になってしまう。そうすると、処理場を引き受ける価値が損なわれてしまったと考えられます。

この事例に対して、日本の社会学を担い現在ではオピニオンリーダーとしても活躍する大澤真幸氏は、日本の場合を対比的に持ち出しました。どういうことかと言うと、日本において原発の建設と補償金(交付金)はセットであり、補償金(交付金)が無ければ、原発の建設を認可した自治体はなかったであろうということです。

つまり、日本の場合は、スイスとは異なり、国民の義務として原発を考えた人はほとんどいなかったということがこの事実から考えられます。日本において原発の建設は、スイスのような英雄的な行為ではなく、社会の誰かが飲まなくてはいけない「泥水」であったと言ってもよいでしょう。

 

 補償金を拒否する島

その原発に抗い続けている島があります。ともに日本の学者である高橋源一郎と辻信一の報告をもとに祝島のケースを紹介しましょう。祝島とは山口県にある過疎化が進む小さな離島です。この祝島は、23年間原子力発電所の建設に反対し続けていることで有名です。

祝島のデモは面白くて、平均年齢65歳くらいのおばあちゃんたちが、生活の一部としてデモをしているのです。さっきまでデモに参加していたのに「これからご飯作るから」と言って帰ってしまう人もいるくらいです。

さらに面白いことに、彼らは中国電力からの巨額な資金援助も拒否しているのです。理由を聞くと「いらないから。だって使い道がないでしょ」という具合。先ほどまで、金銭的インセンティブを拒否した例としてスイスの話を紹介しましたが、祝島は英雄性がどうだとかそういうことではありません。そもそも、彼らにとって、お金は魅力的ではないのです。

つまり、祝島の住人達は、自然と寄り添いながら生きていて、祝島において強者の論理である「原発」や「お金」は無意味だということなのです。

 

 あなたは何のために投票にいきますか?

スイスのように、「泥水」を英雄的に飲み干すのか、祝島のように「泥水」などそもそも必要ない社会を目指していくのか。日本が今、その岐路に立たされていることは間違いないでしょう。

さて、これから、どのような日本社会を作っていくか。もちろん、それは原発だけの問題ではありません。経済成長であるとか、福祉であるとか様々な分野を総合的に考えてより良い答えを出さないといけません。

今回の選挙では何も変わらないのかもしれません。選挙とは、社会に対して、自らの政治的メッセージを表明することではなく、自分の今考えていることを、投票することでかたちにし、自分の考えを確かめる作業なのかもしれなません。

そのためには、まず、「今自分が何を考えたいのか」を明らかにするべきでしょう。筆者にとってそれは、原発でした。さて、あなたにとっては何でしょうか。

迎える衆議院選挙は12月14日です。

photo by Jason Hickey [参考文献]

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