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 空前の妖怪ウォッチブーム

もしもあなたに、子どもがいたら「金曜日の6時半といえば?」と聞いてみてください。そうすると、目を輝かせ、こう返してくるでしょう。「妖怪ウォッチの時間!」

月刊情報誌、日経トレンディが発表した2014年のヒット商品ランキング第2位は、「妖怪ウォッチ」でした(ちなみに、第1位はアナと雪の女王)。子ども向け商品のヒットには、大人も引きずり回されるもの。

休みの日に大阪市内を歩いていると、妖怪ウォッチグッズを求める親子連れの長蛇の列を見かけることも、もはや不思議な光景ではなくなりました。子どもたちは、目をキラキラとさせ、大人たちの眼は、どんよりと疲れ切っていましたが・・・。

手前味噌ですが、以前Credoでも妖怪ウォッチを扱いました(【妖怪ウォッチ】子どもをターゲットにしたクロスメディア戦略の功と罪)。このときは、なぜ妖怪ウォッチがこれほどまでに流行ったのかについて、経済学的に分析をしました。

今回は、妖怪ウォッチが引き起こした「何でも妖怪のせい」現象を心理学的に解明してみたいと思います。

 

 「なんでも妖怪のせい」現象

妖怪ウォッチのブームによって、子どもたちが「なんでも妖怪のせいにする」ことが問題視されています(なんでも「妖怪のせい」にする子どもが増えているみたい)。番組のエンディングテーマとして使用された「ようかい体操第一」の歌詞の中では、「寝坊したこと」や「イケメンなのにフラれたこと」などが妖怪のせいとして描かれています。

これくらいだったら可愛いものですが、「部屋の片づけができない」とか「勉強する気にならない」とか「お母さんの言うこと聞きたくない」といったことまで全部「妖怪のせい」にしてしまう子どももいるそうです。「妖怪のせい」で親は納得するはずがありません。

しかし、「妖怪のせい」にすることで、心が落ち着くと言う子どもだっているでしょう。本稿では心理学の視点にたって、一概に良いとも悪いとも言えない「妖怪のせい」現象のメカニズムを説明していこうと思います。

 

 問題の外在化という考え方

心理学の中には、問題の外在化という考え方があります。有名な事例に「スニーキー・プー」というものがあります。簡単に説明します。

ニックという6歳の男の子がいました。彼は「遺糞症」と診断される問題を抱えていました。「遺糞症」とはトイレで排泄することができず、家のいたるところにウンチをしてしまうという症状です。さらには、ウンチを壁に塗ったり、引き出しにしまったりしてしまいます。数々のセラピストが彼を治そうとカウンセリングに取り掛かりましたが、誰も彼を治すことはできませんでした。次第に彼の両親も疲弊し始めました。

図で説明すると以下の通りです。親がニックの内面にある遺糞症という症状を必死で直そうとしています。効果が出ればいいのですが、効果が出ないとニックの人格そのものまで否定しかねない構図です。

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そんな中、ホワイトというカウンセラーがある方法をとってから、ニックの症状は大幅に改善しました。その方法とは、ウンチを壁に塗ったり、引き出しにしまったりしているのは、「スニーキー・プー」の仕業だと考えるように提案しました。

ニックの内面に問題があるわけでなく、問題行動そのものが問題なのだというふうに発想の転換を図ったのです。図にすると以下の通りです。子どもに問題があるのではなく、子どもと一緒に問題を解決していく構図になっていることが分かると思います。

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こうすることによって、ニックはただカウンセリングを受けさせられる受動的な存在から、自ら「スニーキー・プー」に対処していく能動的な存在へと変貌しました。

また、彼の両親も、ニック自身を変えていかなくてはいけないという考え方から「スニーキー・プー」さえ退治すればいいという考え方に変わりました。問題に振り回されて途方に暮れるだけだった家族が、問題に協同で立ち向かっていく家族に変貌しました。

このような考え方を「問題の外在化」と呼びます。

もっと簡単な例としては、節分の豆まきでの一幕があるでしょう。例えば、学校の先生が、「みなさんの心の中にはどのような鬼がありますか?」と子どもたちに尋ねます。

すると、子どもたちは、一人で様々なことを考えるでしょう。そのあとに先生はきっと「それでは、みなさんの心の鬼を退治しましょう」と言って、先生自ら鬼に扮し、子どもたちから豆を投げつけられます。子どもたちが心の中に抱いていた鬼は、先生という姿になって外在化し、豆を投げつけることで解決していくのです。

このように、問題の外在化の考え方は妖怪ウォッチの考え方とかなり近いのです。

 

 「問題の外在化」のポイント

「問題の外在化」は「問題解決志向のアプローチ方法」です。その問題の責任は誰にあるのかをくどくどと追及することはしません。責任の所在については、いったん置いといて、とにかく問題そのものを解決しようという考え方です。

具体的に、「問題の外在化」=「妖怪のせいにすること」について見ていきましょう。今回は、「部屋をきれいに片づけられない」という場合を考えてみましょう。

「どうして、あんたは部屋が片づけられないの!」と言う風に考えてしまうとき、「部屋を片付けられない」という問題が子どもの内面にあるように捉えていると思われます。まるで、遺糞症が子どもの内面にあるように感じ、子どもの人格まで否定しかねなかったあの母親のように。

そうではなく、子どもの責任は問わないから、一緒に考えていこうよという姿勢の方がよっぽど生産的ではありませんか?

 

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しかし、そもそも子どもが「妖怪退治」に参加しようとしないということもあるとおもいます。ただ「妖怪のせい」といって、誰が部屋の片づけをしなくちゃいけないのかをうやむやにしてしまうということが多くあると思います。このときに子どもを叱っても、子どものやる気をそぐだけで得策ではないですよね。

解決策の一つとしては、一つ次元を上げて「子供を妖怪退治に参加させようとしない妖怪」の退治に取り組むということが考えられます。やる気がないのだったら、その原因は何だろうということを、一緒に考えてみることが一番大切です。そういう風にどんどんと考えていくと、思わぬところに原因があるかもしれません。

「掃除しない子供 / 掃除してほしい親」という構図になってしまうと、対立になってしまいますが、「妖怪 / 私たち(親、子供)」の構図にして、一緒になって問題解決にあたるという姿勢が「問題の外在化」を利用したベストな方法と言えます。

 

 妖怪のいいところ

妖怪のせいにすることのメリットは責任の所在を明らかにしないことです。私たちは、しばしば、問題が起こったときにその責任は誰にあるのかということばかりに注目してしまう傾向があります。このとき、「人 / 人」という対立構図になり、結局問題の解決には至らないということに陥りがちです。その結果、問題解決はしていないが、「誰かに」とりあえず謝ってもらうしかなくなるということになってしまいます。

責任の所在は曖昧なままに、とりあえず謝罪というのは根本的な解決策ではありません。かといって「妖怪のせい」にすることも根本的な解決策であるのかというと、それは断言する事はできません。しかしながら、人間関係の維持という点では、後者の方が問題解決には得策なのかもしれません。

photo by Cesarr Spencer Terrio

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