「アメリカ」というフィクションを信じ続ける若者:【連載】『コノクニノクウキ 私の生き方編②』

【読了時間:約 9分

第二回目となった連載、「コノクニノクウキ 私の生き方編」です。この連載はマスメディアが取り上げない、普通の若者たちの生き方にフォーカスしていくものです。

第一回目の記事はこちら “競争嫌いな「意識高くない系」大学生へインタビュー”:連載『コノクニノクウキ 私の生き方編①』をご覧ください。

今回インタビューを受けてくれたのは、アメリカの大学に交換留学中の日本の女子大生のみきさん(仮名)です。みきさんは私費留学ではなく、通っている日本の大学の制度を利用し、アメリカに1年間留学しに来ました。そんな彼女に留学の理由を初め、様々な事を聞いてみました。

 

—「なんで留学しようと思ったの?」

MIKI:留学したかったのは高校の時から思っていました。当時通っていた高校に、メキシコから交換留学生から来て、無意識に「かっこいいな」って思いました。それと、アメリカ留学を終えて、日本に帰国した人がかっこよく見えました。アメリカ人みたいに自分に軸をもって帰国して、意見をしっかり言える人になっていました。私シャイだし、傷つきたくない性格なので、そういうのに憧れるんですよ。例えば、バレエやっている人なんかいい例ですけど、自分の考えを表現できるひとすごくかっこいいと思います。私もそういう風になれたらなと思って、この留学を決めました。

 

—「傷つきたくないって例えばどういうこと?」

MIKI:授業中に発言して、もし間違っていたらどうしようとか…。

 

—「かっこいいの定義ってなに?」

MIKI:芯ですかね。芯を持っている人はかっこよく見えます。実際、帰国してきた人たちは自信満々に見えましたし、その強さが私の中での「かっこいい」の定義ですかね。本当に私はプレゼンも大の苦手だし、人前で話したくないんですよ。だけど、異国に来たら、生き抜くために自分の意思を貫かなきゃいけない。そこで自分の芯が見つかるかなと思いました。

 

—「今何年生?」

MIKI:3年生なので、帰国したら就職活動です。 「ここに行きたい!」っていうのはまだ決まってないんですけど、海外出張がたくさんある仕事がいいですかね。日本半分、海外半分みたいな。あ!オーガニックのスキンケア商品で働きたいです!願わくは、バイヤーとして働きたいですよね?

 

—「なんで、そこがいいの?」

MIKI:オーガニック系を売り出している会社は、スローライフを推進している会社が多いんですよ。私、競争社会で行きていく自信もないし、そもそも競争社会自体が嫌いなので、そういったスローライフの生き方がいいです。

 

—「なんで競争社会が嫌いなの?」

MIKI:競争社会って他人を蹴落として、それで幸福を感じている人が感覚値ですけど、多い気がするんですよ。 でも人間は慣れる生き物なので、それでは一生満足せず、ギスギスした人生を送らなきゃいけない。そういうのが嫌いなんです。SNSとか私、利用しないんですけど、あれはすごくいい例で虚栄心の塊ですよね。自慢大会みたいな。

 

 アメリカこそがNo.1

彼女のインタビューの際、言葉の節々にアメリカを称える声が見受けられました。「アメリカ人は意見を持っている」「アメリカ人はしっかり自分の意見を言う」「アメリカ人には強い芯がある」などの発言です。彼女の人生の前提にはおそらく「アメリカ人的な生き方」=「正しい」という考え方があるのでしょう。

彼女だけではないはずです。多くの場面でアメリカは優れているものの象徴として利用されています。例えば、メディアが日本の若者の低投票率を報道する時に比較対象として提示される例はアメリカが多いように思えます。

今議論されているスーパーグローバル大学もその一つです。確かにアメリカの大学の教育や生徒は世界でもトップレベルかもしれませんが、あくまで一部分野においてだけです。相対的にみたら、アメリカの教育が理想的なものかどうかを断言することはできません。

なにかにつけて「アメリカは良い」という無意識の意識が日本にはびこっていると感じるのは筆者だけではないはずです。

今回は、アメリカを肯定する彼女のその空気感はどのように創られたのか、その社会的な雰囲気の由来は何なのかについて、帝国主義的文化支配という社会学概念を利用して、説明していきます。

 

 彼女の発言のルーツ

「アメリカって最高じゃん」という雰囲気のルーツは文化帝国主義という概念によって説明できます。文化帝国主義は英語にするとCultural imperialismと訳せます。Imperialismの訳し方には様々あり、帝国主義、帝政、開発途上国支配、領土拡張主義などと訳せます。その文化的側面という意味なので、ある国(アメリカ)の文化を他国(日本)に根付かせる行為のことを指します。この行為はその文化支配の対象となった国の自律的な文化発達を妨げます。

アメリカは自由貿易主義と同様に、情報も世界に自由に流通させました。

しかしながら、自由貿易は、つまるところ強い国の経済を弱い国に浸透させます。同様に、情報を自由に世界中に流通させることは、アメリカの生活様式を他国に可視化させることで、勝手に善悪の対立構造(「アメリカ/日本」「良い/悪い」)を創出してしまう可能性があります。

具体的な例として、例えば幸福の代名詞「ブータン」では幸福度が低下傾向にあります。これはインターネットが普及をしたことで井の中の蛙状態だったブータンが自国と他国を比較できるようになったために、幸福度が下がったのではないかと考えられています。

実際にブータンでは1999年にインターネットが解禁されてから、世界の他の国々で価値が置かれているもの(車、家、携帯電話など)が一般の人々の目に入るようになりました。その結果、それらに対する物欲が生まれ、ローンを組んでまでそれらを購入する若者が増加しているほどです。

日本の場合も過去に同様な現象が起こっています。社会学者の宮台真司は著書の中で日本に3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)が普及した理由を、「アメリカ風の文化的生活が営める」「この商品を買わないと人並みになれない」というフィクション席巻したことによるものだと述べています。

当時は、その3Cを手に入れることが幸せでした。しかしながら、今の日本にそのような指標はありません。1960年代に価値の置かれていたモノ(3Cなど)が一般的に普及し、人並みの生活を送れるようになった彼ら、僕らが求め始めたもの、それはフィクションだったのです。

 

 アメリカの示す幸福像

アメリカが呈示してきたライフスタイルを疑わずに取り入れてしまったこととMIKIが根拠なく語る「アメリカに行けば憧れの自分になれる」という話は類似しています。その類似点は、どちらも「アメリカは良い」というフィクションで構成されているということです。

「アメリカにいけば憧れの自分になれる」という命題は「アメリカに行かなきゃ憧れの自分にはなれない」というものと表裏一体であるように思えます。つまり、「新しい自分をデビュー」させるためには、アメリカ留学は彼女にとってオンリーワンの選択肢だったということになります。

筆者が先ほどから使っている「フィクション」という言葉ですが、もしかしたら自分の憧れがフィクションであることに本人は気がついているのかもしれません。しかしながら、フィクションをフィクションと認めた瞬間に、彼女の選択肢は1から0になってしまいます。

要するに「アメリカって最高じゃん!」というフィクションをノンフィクションと思い込むことで彼女の選択肢は成り立っています。MIKIだけではありません。先ほど例に出した、低投票率を嘆くメディアもアメリカの大学教育を美化する日本のお偉いさんたちも同じです。彼らにとって選択肢0という絶望を回避するためにフィクションは必須なのです。

現代は昔のように、「お金を稼いでテレビや家を手に入れるぞ」といったようなある行動と幸福が一直線に結びかないような時代です。しかしその中でも文化帝国主義が創りあげたアメリカの示す幸福像というのは力を持っています。

 

 フィクションが席巻する現代社会

アメリカを肯定する彼女の発言や社会の雰囲気は上記でも述べたフィクションによって創られていたのです。そしてそのフィクションはアメリカの帝国主義的文化支配が創り上げた根強い幸福像だったのです。

そんな「フィクションが席巻する社会」が「フィクションに生きる若者」を生み出し続けています。たとえ、彼女の憧れがフィクションで構成された空虚な記号であったとしても、オルタナティブとしてより良い指針を明確に示す事ができないということもまた現代社会の特性なのです。

photo by Rory MacLeod  [参考文献]

Credoをフォローする