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ウクライナ政府軍と親ロシア派武装組織の紛争収拾を目指してロシアとウクライナ、それに調停役のドイツ、フランスの4カ国首脳が協議し、発表した停戦合意が現地時間の15日午前0時(日本時間同午前7時)、発効しました。

ウクライナ(首都はキエフ)はロシアの西側に位置し旧ソビエト連邦内の構成国でしたが、1991年ソ連崩壊に伴い独立しました。1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故が発生した地域、というと分かりやすいかもしれません。

 

 現在までの政治的変遷

1994年、第2代大統領に就任したレオニード・クチマ氏は、ヨーロッパとロシアの中間にあり、両者の緩衝地帯となっているウクライナの地政学的特徴を生かし、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO:アメリカを中心とした北アメリカとヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟)への加盟を表明し(現在までウクライナはいずれにも加盟していません)、アメリカとの関係を強化するなどしてロシアを牽制し、欧米諸国から多額の支援金を引き出しました。その後、その強権政治に対する国民の不満が高まると、クチマ氏は一転、ロシアとの関係を強化しようと模索しました。

2004年に行われた、クマチ氏の任期満了に伴う大統領選挙では、ロシアとの関係を重視する親ロシア派とヨーロッパへの帰属を主張する親欧米派とが激しい争いを繰り広げ、混乱の後、親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコ氏が大統領に就任しました。それを受け、ロシアはウクライナに対し、それまで低価格で供給していた天然ガスの料金を、国際的な市場価格に合わせて倍以上に引き上げることを要求し、両国は対立しました。国内でも政党が権力争いを繰り広げたため、ウクライナの政情は、内政面でも外交面でも安定しませんでした。

2010年の大統領選挙では、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏が当選しました。しかし2013年、同氏はロシアからの圧力を受け、ウクライナが既に仮調印を済ませていた、EUとの政治・貿易協定への調印を見送ったため、親欧米派による大規模な反政府デモが発生し、国内は騒乱状態に陥りました。これを受け、ヤヌコーヴィチ大統領はウクライナ国外へ脱出したため、その後の暫定政権を経て2014年5月、親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏が後任の大統領となり、現在に至っています。

 

 ウクライナ政治の歴史は新欧米vs親ロシア

これまで述べてきたことで分かるように、ソ連崩壊後、つまり冷戦終結後のウクライナにおける政治の歴史は、親欧米派と親ロシア派の争いの歴史だったといえます。隣国のポーランドは2004年EUに加盟して以降堅調な経済成長を続け、その経済規模は、1989年に同国が民主主義を回復した当時の2倍となっています。一方でウクライナ経済は、2008年の金融危機で大きな打撃を受け再建を進めている最中であり、欧米、もしくはロシアからの金融支援等がなければ破綻に至りかねない状況です。

ポーランドのような経済成長を目指すのであれば、同様にEUに加盟し、欧米と協調した国家運営をし、民主主義国家を目指すべきだと考えるのが親欧米派で、ウクライナ西部に居住し、宗教はギリシャ・カトリックで主にウクライナ語を話します。ロシアは旧ソ連時代の抑圧者であるため、彼らの中には強い反ロシア感情があります。一方で、ロシアに接する東部の人々はロシアに親近感を持っており、宗教はロシア正教で主にロシア語を話します。東部と西部とで、親ロシア、親欧米という別々の価値観を持ち、対立関係にあるのがウクライナの現実です。

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(ウクライナの位置関係:編集部作成)

 「ウクライナ紛争」の原因

そうした国内の対立を背景に、2014年ヤヌコーヴィチ大統領が失脚すると、ウクライナの南端にあり住民の6割をロシア系が占めるクリミア自治共和国では、分離・独立の動きが活発化しました。2月27日、親ロシア派武装勢力(一部ではロシア軍であるとされています)が地方政府庁舎と議会を、翌日には自治共和国の首都シンフェロポリの空港を占拠しました。3月には、自治共和国議会はクリミア独立宣言を採択し、その後、ウクライナの国内法を無視するかたちで行われた住民投票を経て、ウクライナからの「クリミア共和国」の独立とロシアへの編入を求める決議を採択しました。

こうしたクリミアでの動きに呼応するように3月1日、ロシア上院はクリミアへの軍事介入を承認し、ウラディミール・プーチン大統領は、ウクライナの極右民族主義勢力からロシア系住民などを保護するとの名目で本格的に軍事介入を開始しました。そして、クリミア共和国の主権(ウクライナからの独立)を承認した上で、3月18日にクリミアからのロシアへの編入要請受諾を表明しました(ロシアのクリミア編入)。

ウクライナ東部での分離・独立の動きはクリミアのみにとどまらず、東部ドネツク州などに波及し、地方政府や警察庁舎を親ロシア派が占拠しました。4月、これを制圧しようとするウクライナ政府軍と親ロシア武装勢力との戦闘が始まり、武力紛争へと発展したことが、現在まで続く「ウクライナ紛争」の発端となりました。この紛争では、戦闘が始まってから市民を含めてすでに5,400人以上が死亡しているとされています。

欧米諸国は衛星写真やメディアの報道等を根拠に、親ロシア派武装勢力にロシアが戦闘員と武器を供与していると非難していますが、ロシア側は武器の供与を否定し、戦闘に参加しているのはロシア人志願兵であるとして、ロシア政府の関与を否定しています。そうしたロシアに対し、欧米諸国は経済制裁などを課しています。昨年9月には、一時ウクライナ政府と親ロシア派は停戦に合意しましたが、その後破棄されました。

 

 今回の停戦合意の内容

冒頭で触れた15日発効の今回の停戦合意は、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4カ国首脳が16時間に及ぶ協議を行い合意したもので、停戦のほか、重火器の引き離しや親ロシア派地域の自治拡大など13項目を定めました。合意の発効以降、一部地域では戦闘が続いているものの、各国首脳は現時点では概ね合意事項が守られているとしています。

ウクライナ・リボフ国立大のアナトリー・ロマニュク政治研究センター長は今回の合意について「解決に向けた自然で重要なステップではある。しかし、合意は双方が都合よく解釈できる玉虫色の内容だ。昨年9月も停戦でいったん合意したが、すぐに破られた。今回の停戦合意後も戦闘が続いている。うまくいかない可能性が相当高い。解決の道のりはまだまだ遠いと言わざるを得ない」(14日付毎日新聞電子版)とし、懐疑的な見方を示しています。

アメリカのオバマ大統領は、停戦合意が履行されなければ、ウクライナ政府軍に殺傷能力のある武器を供与する方針であると繰り返し述べています。もし今回の合意が実行に移されなければ、武器供与を受け強化されたウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力が、これまで以上に激しい戦闘を繰り返し、さらに多くの死者が出る事態も想定されます。そういう意味では、今回の停戦合意は紛争を泥沼化させないための「ラストチャンス」といえるかもしれません。ちなみにヨーロッパは状況の悪化を恐れ、アメリカの武器供与に反対の立場です。

スウェーデン元首相のカール・ビルト氏はロシアの狙いを、「…ウクライナが西側諸国入りすることを防いで東寄りにさせること。そして、ヤヌコビッチ政権を打倒した革命が衛星諸国でまた起きるリスクをなくすことだ」(2014年11月16日付東洋経済ONLINE)と指摘しています。つまり、ヨーロッパとの緩衝地帯となっている旧ソ連の構成国、グルジア、アゼルバイジャンなどが、ウクライナのように親欧米となり、EUやNATO加盟などによって欧米諸国と経済的、軍事的な結びつきを強めていくことは、ロシアにとって脅威であり、それらの国々を何とかロシア側に繋ぎ止めておきたいということです。

長期的に見れば、ロシアの周辺諸国は主として経済的発展のため、ポーランドがそうしたように欧米との関係を深めていく可能性は低くありません。もしロシアの狙いがビルト氏の指摘通りであれば、ロシアが自国に不利なかたちでウクライナ紛争を終結させることはあり得ないと考えられます。今回の停戦合意に関していえば、曖昧な点が多く、これによってウクライナ紛争が終息するのは難しそうですし、何よりロシアが十分満足するようなシナリオは見通しにくいというのが現状です。

ロシア、ウクライナ、ヨーロッパ、アメリカ、それぞれの思惑が交錯する中で、今後停戦合意が守られるかどうかは極めて不透明だといえます。ウクライナ紛争は、将来的にロシアとその周辺国、欧米など多くの国々の国際関係に影響を与え得る火種としてくすぶり続けるものと考えられます。

Photo by Sasha Maksymenko

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