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 「ニコニコ動画はつまらなくなった」のか

ドワンゴは2月17日、同年4月25,26日に幕張メッセで行なわれる「ニコニコ超会議2015」の企画に関する発表を行いました。「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」というコンセプトのもと、2012年から毎年開催されている超会議は年々来場者数を増加させており、今年も二日間で累計約12万人が来場した去年に増して一層盛り上がることが予想されます。

このイベントの盛り上がりが示すように、ニコニコ動画というサービスは今や非常に大きな規模となりました。

しかし、一方で2007年のサービス開始当初から利用しているようなユーザーらの意見として、「ニコニコ動画はつまらなくなった。昔の方が面白かった」という意見も、厳密に定義することは出来ませんが、ネット上で散見されます。

 

 彼らが感じる違和感の理由とは

「ニコニコ動画は似たような動画ばかりになってしまった。」「コメントの質が落ちた。」「ランキングに上がってくる動画ですら面白くない」

このような意見は、ニコニコ動画というサービスに対して多少なりとも違和感を感じるが故のものだと思われます。ではその違和感が生まれる原因、そして構造的背景とはどのようなものなのでしょうか。

感覚的に説明することは勿論出来ます。しかし本稿では敢えてこの問いに対して多少回り道になってしまいますが、主に社会学的な概念を使って一歩ずつ考察を進めて、構造的背景を捉えてみたいと思います。

今回の考察でテーマにしている、一部のユーザーがニコニコ動画に対して違和感を感じる原因、その仮説は次のようなものです。

ニコニコ動画から生まれるコンテンツの魅力、その源泉にあった”擬似同期性”、そして”内輪意識”に基づく社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が、特に”ユーザーチャンネル”開始をきっかけに変質してしまったから

それでは、順に見ていきたいと思います。

 

 ニコニコ動画の”擬似同期性”と”内輪意識”という二層のネットワーク

ニコニコ動画は、ユーザー同士の間である種の連帯意識を作り出しています。

このことについて見ていく上で、まずニコニコ動画というサービスがどういったものなのかを簡単に振り返ってみましょう。

このサービスは、一言で言うと「再生されている動画に対して匿名のユーザーが好きなタイミングでコメントをつけることが出来る」というところに最大の特徴があります。

この特徴について、社会学者の濱野智史氏はその著書『アーキテクチャの生態系』の中で次のように考察をしています。

“ニコニコ動画は、実際には「非同期的」になされている(視聴者とは異なる時間に投稿された)動画に対するコメントを、アーキテクチャ的に「同期」させることで(コメントの投稿タイミングと動画の再生時間を合わせて)、「視聴体験の共有」を擬似的に実現するサービスであるということが出来ます。この特徴を、「擬似同期」と呼んでおきましょう。”

『アーキテクチャの生態系』,2008年,NTT出版,濱野智史,p.213より引用。()内は筆者注釈です。

この擬似同期性によって、私たちユーザーはどんな時でも「ライブ感覚」を他のユーザーと共有出来るようになりました。これが連帯意識の一つの源です。

もう一つの源は、”2ちゃんねる”から受け継がれている匿名性・ネットスラングが生み出す”内輪意識”です。

巨大掲示板”2ちゃんねる”の創始者である西村博之氏がニコニコ動画を監修したということもあり、サービス開始当初から両者は密接な関係上にありました。

サービス開始当初は”2ちゃんねる”の各掲示板で「ニコニコ動画に面白い動画あったからリンク貼る」「ニコニコ動画面白いよ」といった書き込みがなされ、多くの”2ちゃんねる”利用者がニコニコ動画を利用していたと推測されます。そういった経緯から実際ニコニコ動画のコメントには今もそうであるように”2ちゃんねる”的なネットスラングが数多く見られます。

これらネットスラングを匿名状態におけるコメントなどを通したコミュニケーションで用いることで、ニコニコ動画のユーザーたちの間ではある種の”内輪意識”が生まれているのでは、と考えることが出来ます。

もう一度、濱野氏の『アーキテクチャの生態系』から文章を引用させて頂きます。

“―――しかも2ちゃんねるの内輪は、いわゆる「内輪」プロパーが持つイメージをはるかに超えて巨大なのです。

その集合意識ないしは帰属意識が、互いに顔も見えないウェブ上での協働を支える信頼財、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)として機能しているのではないかと考えることが出来ます。”

濱野智史同著 p.99より引用

“擬似同期性”でお祭り感覚を共有できる部分の影響が強いとはいえ、同様の内輪意識を構成するニコニコ動画でも同じように、顔も知らない相手との協力を厭わない側面があります。動画投稿、コメントでの弾幕、歌詞の表示など様々なものをその特徴として挙げることが出来ます。

さて、続いては先ほど引用した濱野氏の文章内にあった、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)について見ていきます。

 

 人同士の繋がりが生む社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)

(以下では、ソーシャル・キャピタルに統一して表記していきます。)

ソーシャル・キャピタルについて、2011年に『ソーシャル・キャピタル入門』を著した稲葉陽二氏によれば、その定義は次のようなものとされています。

“筆者は、これまで言われてきた「信頼・規範・ネットワーク」に「心の外部性」を加えて、ソーシャル・キャピタルを「心の外部性を伴った信頼・規範・ネットワーク」と定義している”

稲葉陽二著『ソーシャル・キャピタル入門』,2011年,中公新書 p.27より引用。

一言で言えばソーシャル・キャピタルとは、人々の絆、そしてそれが生み出す様々な効果のことを指します。

悪い効果も生じ得るのですが、ここでは良い効果をもたらす具体例を考えてみます。

それは東日本大震災の時に見られたような「お互い様」の精神です。交通機関がマヒした東京で、人々は互いに声をかけて励まし合い困難を乗り切ったと言われています。

稲葉氏が定義で触れている外部性とは、市場を通すことなく社会に与える影響のことで、良い影響をもたらすものを外部経済、その逆を外部不経済と呼んでいます。

今回のニコニコ動画の話との関連性で言えば、サービス開始当初から大多数の投稿者は直接的に十分なお金をもらえるわけではないにもかかわらず苦心して動画を制作し、視聴者は面白いと思った動画を盛り上げ、一緒に場を共有できる人たちを増やす事に繋がるようコメントを打つ、という行動を行ってきました。

これはまさに、市場を通すことなくニコニコ動画内で利用できる動画というコンテンツの価値を高める外部経済の効果だと考えることが出来るでしょう。

ニコニコ動画をそれなりに利用した方であれば、動画内で不意に流れてきたコメントを見て思わず吹き出してしまうといった経験があるのではないでしょうか。そのコメントについて、投稿者が次に投稿した動画で取り上げてネタにし、その動画投稿者のコメントのテンプレートのようなものが出来ていく。そんな状況を目の当たりにした方もいるかもしれません。

勿論、ニコニコ動画内でのコメント、投稿者と視聴者とのやりとりが全て良い方向に機能するというわけではなく、例えば容赦なく流れてくる罵詈雑言を見て気分を害された方もいると思います。

しかし、今日ここまでニコニコ動画が大きな価値を持つコンテンツを生み出してきた理由に、ソーシャル・キャピタルがもたらす外部経済の効果が大きかったということを無視することは出来ないでしょう。

 

 生産消費者が支えるユーザー作成コンテンツを皆で共有して楽しむ、ただそれだけの場

ここまで見てきたことを整理していきましょう。(以下で示していく画像は全て筆者が作成しました。)

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ニコニコ動画はサービス開始当初、2ちゃんねるの影響が大きく、そのネットスラング文化などを受け継いだことでユーザー同士の間には内輪意識が生まれました。

その内輪意識は、動画に対するコメントを皆で共有し、ライブ感を楽しむというニコニコ動画のコンセプトによって更に強められ、最終的にはコンテンツの質を高める効果を持つソーシャル・キャピタルを生み出しました。

ここで、ユーザー間には誰が投稿者で誰が視聴者、という明確な区分けはなかったと思います。勿論、人気な動画投稿者は自然と生まれていましたが、金銭的な利益がない状態で殆どの投稿者・視聴者が得ていたのは「皆で騒いだ」という満足感、ただそれだけだったのではないでしょうか。

このようにいわば金銭が殆ど絡まない状態で自給自足的にコンテンツを生み出しそれを消費する人々のことを、『第三の波』『富の未来』を著したアルビン・トフラーは”生産消費者”と呼んでいます。

“金銭経済で販売するための財やサービスが作りだされるとき、それを作る人は「生産者」と呼ばれ、その過程は「生産」と呼ばれる。だが、金銭が絡まない簿外の経済に関しては、「生産者」に当たる言葉はない。

そこで1980年に刊行された『第三の波』で、筆者は「生産消費者」という言葉を作り、販売や交換のためではなく、自分で使うためか満足を得るために剤やサービスを作り出す人をそう呼ぶことにした。個人または集団として、生産したものをそのまま消費する時、「生産消費活動」を行っているのである。”

アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー著、山岡洋一訳、2006年、講談社 p.284より引用

しかし今やニコニコ動画は純粋な「生産消費活動」の場とは言えなくなってしまいました。

ニコニコ動画におけるこの環境が明確に変化した主要な理由として、筆者はここで2013年12月に始まった”ユーザーチャンネル”を挙げたいと思います。

 

 ”ユーザーチャンネル”がニコニコ動画のソーシャル・キャピタルを変質させる

ユーザーチャンネルとは、それまでは企業などに対して開放していた公式アカウントのサービスを選考に基づいて一般ユーザーにも開放していくというシステムです。動画、生放送などで一般ユーザー以上の機能を利用することが出来ます。

本稿で最も注目したいのは、このユーザーチャンネルが月額課金機能を前提としたものになっている点です。

現在ユーザーチャンネルを開設しているのは49名です。その全員があらゆるコンテンツを自分のチャンネルに対する月額課金をしてくれる会員向けに提供しているわけでは勿論ありません。ただ、このように視聴者側とニコニコ動画というプラットフォーム上で直接的に金銭をやり取りする仕組みが導入されたことが、これまで述べてきた、ニコニコ動画の雰囲気を、特にソーシャル・キャピタルを変えてしまうことなのではないかと思います。

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稲葉陽二氏は『ソーシャル・キャピタル入門』の中で、”心の外部性”とお金を関連させることについて次のように述べていました。

“他人から好意を受けた時に、すぐに財布を取り出してお金を払うのでは意味がない。友人の自宅に招かれたからといって、その好意に対してお金を支払ったりしないし、逆にそんなことをすれば社会関係資本が崩壊してしまう。”

稲葉陽二同著 p30より引用

ニコニコ動画における動画投稿者と視聴者の関係は厳密に言えば、このような友人関係ではなくどちらかと言えばアイドルとそのファンという関係性のほうが適切です。ですが、アイドルに対するファン行動のように初めから金銭をやりとりし合うことを前提とした関係性でもありませんでした。

今回は後者の特徴に注目し、ニコニコ動画がかつて持っていたソーシャル・キャピタルはユーザーチャンネルという市場原理を持ち込まれたことで変質してしまったのではないかと思います。

改めてニコニコ動画の特徴を確認すると、それは動画投稿者・視聴者がそれぞれ生産消費者として「場を共有する」ことを楽しむ場だったということでした。

しかし、ユーザーチャンネル導入によってユーザーは多少なりとも動画を作り月額課金をしてもらう生産者側と、コンテンツを楽しむために月額課金をする消費者側という区分けを意識させられたのではないでしょうか。

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 違和感を覚えるのは、ソーシャル・キャピタルの質が変わってしまったのを感じているから?

ニコニコ動画は決してユーザーの望まない方向に進んできたわけではありません。

そうでなければここまでのコンテンツには成り得なかったでしょうし、そもそも企業である以上利益を得なければならないことを考えれば、優れたコンテンツを生み出してくれる人気ユーザー自体をコンテンツ化するのは非常に理にかなっています。

ただ、何の金銭も絡まない中で、お互いがお祭り意識を共有して楽しむためだけに動画を投稿し、コメントし、コミュニケーションを取っていた、そこに不思議な仲間意識を互いに感じていた、そしてそれをニコニコ動画の魅力と思っていた人たちは確かに存在しています。

そういった人たちにとってこれからのニコニコ動画は、よりいっそう違和感の塊になっていってしまうのかもしれません。

Photo by pixabay [注釈•参考文献]

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