【読了時間:約 7分

2月11日、産経新聞朝刊に掲載された曽野綾子氏のコラム『曽野綾子の透明な歳月の光』の内容がアパルトヘイトを賛美しているのではないかと問題になりました。

曽野氏はこのコラムの中で、日本で移民を進めるのならば、日本人と他の人種の人々とが居住区を共にすることはできないのではないかと自説を展開しています。

”もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいいと思うようになった。…(中略)…

人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい”

このコラムの内容について、南アフリカ共和国のモハウ・ペコ駐日大使が「アパルトヘイトを容認し、賛美している」と抗議し、海外の主要メディアも曽野氏の意見を非難しています。

例えば、ニューヨーク・タイムズでは2月13日に『Japan PM Ex-Adviser Praises Apartheid in Embarrassment for Abe』(安倍首相の元顧問がアパルトヘイトを称揚し、首相を困惑させる)と題した記事を掲載。同じ日にウォールストリート・ジャーナルやロイターなども同様の記事を配信しています。

日本の主要メディアでのこの件に対する取り扱いが当初比較的小さかったのに対し、欧米メディアでは強い口調での非難が目立つように感じました。なぜ欧米ではこうした発言が問題だと大きく取り扱われるのでしょうか?

その背景として、欧米諸国、特にアメリカ合衆国ではかつて過酷な人種差別が存在し、人種間の対立を乗り越えることで今の社会を成立させたという歴史的な経緯があります。

本稿では、そうした歴史的な経緯を理解するために、19世紀から20世紀にかけてアメリカ合衆国で存在した人種差別の歴史について解説します。

 

 分離すれど平等

19世紀前半、アメリカでは奴隷制は社会的に認められた制度であり、黒人奴隷を使った大規模農園の経営が普通に行われていました。

大規模農園では、満足な住居さえ用意せず、ムチ打ちのようなリンチや家族をバラバラにして売りに出す人身売買も当たり前に行われていました。

しかし、アメリカ北部では徐々に工業化が進展して奴隷が必要でなくなり、また、奴隷制自体の残酷さに対する疑念も生まれます。

特に、ストウ夫人の書いた『アンクル・トムの小屋』は奴隷制の実態を告発する書物として広く読まれ、北部を中心に奴隷制廃止への機運も高まります。

そんな状況の中でもアメリカ南部では社会の維持のためにも奴隷制が必要だと考えられていました。こうして工業中心の経済で奴隷制反対の北部と農業中心で奴隷制を維持したい南部の対立が顕在化します。

そして、南北間の緊張が高まった結果勃発したのが南北戦争(1861~65)でした。この南北戦争のさなかにリンカーン大統領が奴隷解放宣言を発布します。こうして奴隷制は終了し、黒人と白人は平等に扱われるようになったかのように見えました。

しかし、奴隷は解放されたものの貧しい状態にあり、南部を中心に黒人への差別意識は根強く残りました。この偏見を再び制度化したのがジム・クロウ法とプレッシ-裁判です。

ジム・クロウ法は1877年以降に制定された黒人と白人を分離する一連の法制度を指します。例えば、1890年にルイジアナ州で制定された「車内分離法 Separate Car Act」では、列車内において黒人と白人が同じ座席に座ることが禁止されました。

こうした法制度は社会のあらゆる領域に及び、バス・学校・レストラン・バー・はては水飲み場さえ黒人と白人で共有することが禁じられたのです。

また、このジム・クロウ法に反対するため、プレッシ-氏という人物(8分の1だけ黒人の血が入っているため当時の区分では黒人。当時は先祖に一人でも黒人がいればその人物は黒人に分類されました。)が白人専用車両に乗車し逮捕されます。

この時の連邦最高裁判所は判決で人種を元に「区分」を設けることは合憲であるとの判断を下したのです。リンカーンの奴隷解放宣言(1862年)からわずか10年ほどでその理念はものの見事に覆されたのでした。

以降20世紀の半ばまでジム・クロウ法は公的な制度であり、長い間黒人を白人から「区別」することは当然だとされてきました。

 

 公民権運動と自由の獲得

20世紀の半ばに至るまで白人を黒人から「区別」することは両者にとって必要な措置であり、時には「区別」することが両者にとって幸せなことであるというレトリックが平然と用いられてきました。

区別の名の下に公然と行われていた差別を終わらせようと第二次世界大戦後には公民権運動が盛り上がり、ついにはジョンソン大統領の下で公民権法が制定され、ジム・クロウ法体制も終焉を迎えます。

ここではそのベンチマークとなった事件として、ローザ・パークスのバスボイコット事件を挙げたいと思います。

この事件は中学校の英語の教科書などでも紹介されていてご存知の方も多いと思いますが、黒人女性のローザ・パークスが白人優先席に座り、白人に席を譲るのを拒否したために逮捕されたという事件です。

この不当な逮捕をきっかけに黒人たちは一斉にバス乗車をボイコットしました。

この呼びかけに関わった一人がキング牧師であり、以降は公民権運動を指導。1963年にはアメリカ最大規模のデモ活動であるワシントン大行進を達成し、高名なスピーチ「I have a dream」を残します。

このように、アメリカ合衆国では長い間公然と行われていた差別としての黒人隔離政策とそれを乗り越えた歴史があるために人種間の対立を煽るような言説にはことさら慎重なのです。

 

 21世紀にも残る人種間の対立

そうした背景があるにもかかわらず、21世紀入った現在でも依然として黒人に対する偏見は残っており、そうした偏見が明らかになる度に社会的な問題となります。

例えば、高名な黒人学者であるハーヴァード大学教授ヘンリー・ルイス・ゲイツ氏が自宅に入ろうとした際、警官が泥棒に入ったのではないかと勘違いし不当逮捕をするという事件がありました。

また、昨年には、ミズーリ州ファーガスンで白人警官が黒人の少年を射殺し、抗議するデモが相次ぎました。

黒人差別の歴史や時事問題について学ぶと、いまだにアメリカでも人種間の対立という問題はセンシティブなものであり、人種を基準に人を区分することがタブーであることが分かります。

これから移民社会化を進めるかどうか議論を進める際には上述したような各国の人種間対立を乗り越えてきた歴史をきちんと踏まえて発言をする必要があると言えるのではないでしょうか。

そうすれば「差別」と「区別」は別のものだというレトリックが少なくとも歴史的に見て正しいものではなく、差別を温存する方便として使われてきたものだということが理解できるでしょう。

参考文献】Photo by Tony Fischer

Credoをフォローする