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東日本大震災から4年。

震災があった直後は非常事態の最中に娯楽に興ずるべきではないという世間の空気に圧され、エンターテインメント作品を発表・享受しにくい状況がありました。しかし、現在ではNHKの朝ドラ『あまちゃん』を始め作中に東日本大震災を思わせる設定が登場する作品が数多く作られています。

震災の直後には対面した出来事があまりにも大きすぎるゆえに、多くの人がこの大災害に対してどのように感情を吐露すればよいのか戸惑ったのではないでしょうか。こうした戸惑いの中で世間と距離をとりながら自分の思いを表現するのは作家にしか出来ない行為です。

この記事では、震災の後にどのような表現行為が行われたかを再考し、作家たちがときに「不謹慎」「非道徳的」と見られかねないやり方であっても世間の批判を恐れずに震災に向き合い、自分が正しいと考える震災の受け止め方を提示してきたことを明らかにしたいと思います。

 

 震災への「応答責任」とは

震災の後、この未曾有の大災害に対し文学に何が出来るのかという問いが直ちに文学に関わる人々の間で提起されました。この問いにいち早く応答したのが作家で明治学院大学教授の高橋源一郎氏です。

高橋氏は震災の直後に自身のTwitterにて不定期で更新していた『午前0時の小説ラジオ』で震災に際して感じたことを綴っています。彼は教え子に向けた「祝辞」を通してこの震災に対しどのような応答を果たすべきかという問いに端的に答えています。

「祝辞」20・あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に、「正しい」ことを、する気になれないとしたら、それでもかまわないのです。 [注1]

高橋氏はこの一連のツイートの中で「公」的なものが示す「正しさ」に惑わされず、個人の倫理に基づいて自分が何をしたらよいのか考える必要性を説きます。

では、具体的にどのような作品が「私」的な倫理の下で制作されたのか。以下の節では、震災後小説の一つのあり方を示した『想像ラジオ』から震災後の小説の役割について考えます。

 

『想像ラジオ』が示す「癒やし」と「祈り」

DJやタレントとしても活躍するいとうせいこう氏が東日本大震災を受け16年ぶりに書いた小説が『想像ラジオ』です。この作品は芥川賞や本屋大賞の候補にもなり、大きな話題を呼びました。

舞台となっているのは震災直後の世界。この作品では、ラジオという舞台設定を通して生者と死者の新たな関係を模索しています。

「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に。」 [注2]

この作品でいとうせいこう氏は死者や被災者の苦しみを想像するという身勝手さがどこまで許されるのか自問自答しながら、作家として亡くなった人たちの声を想像の中で「聞き取」って追悼するという震災への向き合い方を選択しています。

苦しみや哀しみを言語化し共有することで死者への祈りと生者への癒やしを提示すること。いとう氏の小説は、震災後の社会における小説の一つのあり方をこの作品で示したのです。

 

 社会の「歪み」を告発する

東日本大震災では津波被害による直接的な影響の他に、派生して起きた福島第一原発事故に伴う放射線被曝が大きな不安を呼び起こしました。

特に感受性や表現力の豊かな作家たちは放射線が人々にもたらす影響について様々な捉え方をし、原発事故が象徴する日本の「歪み」を告発しています。

分断線① 「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。

分断線② 大きく分かれた線がある。細かい線もたくさんある。はっきり見える線もある。けれどもほとんど見えない線もある。わかりやすいのは、「反・脱原発」派とそれに反対する人たちの間に引かれた線だ。そこには激しい応酬がある。それから、はっきりした敵意もまた、存在している。 [注3]

前述高橋氏はこのように述べ、原発事故後の社会で反対派の意見に耳を傾けることの重要性を記しました。

 

また、それだけでなく高橋氏は原発事故に対する思いをフィクションへと昇華し、原発事故をパロディ化した小説『恋する原発』を著しました。

彼はこの小説で大震災のチャリティーAVのメイキングという一見すると不謹慎だと非難されかねない設定を用いて事故後の社会を諷刺します。日本文学研究者の木村朗子氏は『震災後文学論』の中でこの設定について、

「正しさ」への強迫に抗するために、この文体があえて選ばれ、震災チャリティアダルトビデオを制作する人々という「不謹慎」極まりない設定をくり返したのであろう。 [注4]

と評しています。

文学の中には一見すれば反社会的に見られるような描写や意見が描かれることもあります。しかし、高橋氏はあえて「不謹慎」な表現を選ぶことで原発事故後に表出した正義感を押し付ける社会的な空気に敢然と立ち向かいます。

このように作家によってスタンスは異なりながらも、震災後の社会に対する思いを胸に震災後の社会を舞台とした文学作品は数多く作られました。川上弘美『神様2011』、津島佑子『ヤマネコ・ドーム』、多和田葉子『献灯使』……。そうしたフィクションを挙げれば枚挙にいとまがありません。

そして、それらの作品に通底するのは、作家たちが自分だけが持ちうる倫理でもって、震災に向き合ったということです。

震災から4年が経った今、耳触りの良い言葉に惑わされず内なる正義に従ってこうした創作活動に身を委ねた作家たちの「倫理性」に私たちも見習うべき点は非常に多いのではないでしょうか。

注釈•参考文献】photo by Mohri UN-CECAR

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