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ヘイトスピーチや移民問題が話題となる昨今、多くのメディアで差別をどう考えるべきかという問題が提起されています。そうしたなかで、日本においても人種問題に絡む事件が立て続けに起きました。

1つは曽野綾子氏の産経新聞のコラム。このことについては先日、Credoにおいても筆者が取り上げ記事にしました。(参考:『曽野綾子の「居住区だけは分けた方がいい」と語るコラムは何がいけなかったのか?』)もう1つがラッツアンドスターとももいろクローバーZによる黒塗りメイクが問題となった件。

これらの事件では何が問題かきちんとした議論が行われないまま事態が忘れ去られてしまいました。しかし、この両者に関しては欧米の差別観が根底にあります。

これらの事件をアメリカ文化研究の視点から振り返って考えればより深い視座が得られるはず。この記事では、上述の黒塗り事件をアメリカ文化研究の視点から考えなおします。

また、本記事は『アメリカ音楽史』(2011年 講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞を受賞するなどアメリカのポピュラー音楽に詳しい慶應義塾大学教授大和田俊之先生に取材し、アメリカポピュラー音楽の歴史からラッツアンドスターの表現について考えるとともに、日本できちんと人種問題を考えるための考え方を提示します。

 

 黒塗りメイク騒動の経緯

まずは2月にあった事件がどういったものだったのか振り返ってみましょう。

2月12日、ラッツアンドスターのメンバー佐藤善雄がTwitterに、ももいろクローバーZのメンバーとおなじみの黒塗りのメイクをした写真をアップしました。

現在は削除されていますが、この写真は3月7日に放送予定だった「ミュージックフェア」(フジテレビ系列)の収録時のもの。

これを見たニューヨーク・タイムズの記者田淵広子が自身のTwitterで引用し、なぜ日本人は人種問題に無頓着であるのかと疑義を呈しました。

このツイートが海外のユーザーの目にも触れ、黒人差別にあたるのではないかという疑問の声が上がります。

こうした意見もあってかTV放映時には問題となった黒塗りでのパフォーマンスのシーンはカットされていましたが、この件はニュースサイト等で大きく取り上げられ注目を集めました。

 

この問題の背後にある人種問題やラッツアンドスターの黒塗りメイクの歴史性について理解していなければ、フジテレビの反応は過剰な自主規制のようにすら見えてしまいます。

しかし、アメリカのポピュラー音楽、黒人奴隷と人種差別、そして日本とアメリカの文化的差異をきちんと学べばこれらの事件についてまた違った印象をもつはず。

次節では、その前提となるアメリカのエンターテインメントと差別の歴史について確認します。

 

 ミンストレル・ショーとはなにか

白人が黒塗りのメイクをして舞台に立つブラックフェイスの伝統ははるか昔にさかのぼります。

例えば、シェイクスピアの演劇『オセロ』では黒人を表すためにブラックフェイスの登場人物が出てきますが、この当時はまだブラックフェイスには差別的なニュアンスは含まれていませんでした。

ブラックフェイスに差別的なニュアンスが加わったのは19世紀奴隷制下のアメリカでミンストレル・ショーと呼ばれる見世物が広まった後です。

ミンストレル・ショーでは、黒人に扮した白人たちが大げさな仕草で黒人へのステレオタイプに基づくキャラクターを演じる芝居や踊りを披露していました。

このショーの中で障害者を真似た動きをするジム・クロウという黒人のキャラクターが作られたという都市伝説もあり、アメリカではブラックフェイス=ミンストレル・ショー=黒人を笑い者にしたというイメージが一般的に了解されています。

ミンストレル・ショー自体は1910年代には衰退しましたが、その後もブラックフェイスはアメリカでも残り、1960年代に公民権運動が高まるまでは芸能の中で当然のように使われ続けました。

 

 黒人音楽の流れを汲むラッツアンドスター

さて、こうした背景とラッツアンドスターのメイクはどの程度関係していたのでしょうか。

ここで注意したいのはラッツアンドスターこそ日本で最も黒人音楽に造詣が深いミュージシャンであったということです。

鈴木雅之や佐藤善雄らラッツアンドスターのメンバーたちは本場アメリカのリズムアンドブルースやソウルに強いあこがれを持っていました。(R&Bもソウルも一般的に黒人音楽に分類されます)

こうしたあこがれをもつ仲間たちが、黒人歌唱グループの数人でアカペラで歌う歌唱法(ドゥーワップ)を踏襲したスタイルのグループを結成します。

そして、その過程で彼らは黒塗りメイクを取り入れ、それがラッツアンドスターが黒人音楽に深く根ざしていることを示すアイコンとして広く認識されるようになりました。

ラッツアンドスターは洋楽への造詣が深い大瀧詠一や山下達郎とも親交があり、日本にブラック・ミュージックを輸入した一人として高い評価を受けています。

「日本で最も黒人音楽に造詣の深いミュージシャン」という評価を受ける彼らだからこそ、彼らのメイクにはブラックフェイスやミンストレル・ショーの歴史につながる歴史性が読み取れるのです。

 

 黒塗り事件の底にある2つの問題

ではこれまで述べてきた背景を前提として今回の事件を再度振り返ってみましょう。

今回の事件を考えるにあたっては2つの次元で問題を考えなおさないといけないとポピュラー音楽に詳しい大和田先生は指摘します。

「この件に関しては2つの次元で問題を整理しないといけません。

(1)「ミンストレル・ショーとはなにか?」という2015年の時点での学術的な問い
(2)「2015年にラッツアンドスターとももクロが黒塗りをしても問題ないのか」という政治的な問い

まず、(1)について。

1970年ごろからミンストレル・ショーは差別の構造をもっていたということがアメリカ文化研究の世界で指摘され始めます。そうしたなかで1990年ごろになってミンストレル・ショーのなかにも「差別」という構造を前提に、より繊細な感情、たとえば黒人に対する憧れや性的なコンプレックス、さらには敬意のような感情を見出し、それを強調するような研究も出てきています。

でも、それはあくまで70年代の研究の大枠を受け継いだ上で、個別の事例においてリスペクトやあこがれがあったという話。それは差別という構造の下で個別に抽出される感情の話であって、学会全体のコンセンサスとして“ミンストレル・ショーは差別的なものであった”というテーゼは覆っていません。

そうした前提の下で次に考えないといけないのは(2)について。

現実問題として、現在のアメリカのエンタメ業界ではブラックフェイスは禁じられています。

それは1950年代、公民権運動の中でNAACP(全米黒人地位向上協会)の運動の成果によって黒塗りが差別的だと批判されるようになったから。それに加えて、1980年代以降多文化主義という考え方が広まって異なる文化を尊重しようという流れが文化の領域でも広まったのが決定的です。

ラッツアンドスターが毎日テレビに出ていた1980年代には日本とアメリカの間のタイムラグのためにアメリカの事情に気づかなかったのでしょう。

しかし、インターネットが広まってアメリカにも彼らの姿がすぐに伝わるような時代になった以上、こうしたことに無頓着ではいられません。2015年現在の学会全体の枠組みや現実の政治問題に照らしても黒塗りは差別的だと捉えられるのはしょうがないと思います」。

 

 意図と受け手の問題は別

この問題を受けてラッツアンドスターは黒人へのリスペクトへの表明をしているに過ぎず差別的と断じるのは行き過ぎではないかという反論もありました。

しかし、そうした反論は通用しないと大和田先生は言います。

「確かに1980年代にラッツアンドスターが渡米したときに、最初は黒塗りが差別的だと嫌がられたけれども、だんだんと話を続けていくうちにアメリカ人とも打ち解けられたという話はあります。しかし、それは個別の人間関係において理解してもらえたという話であって差別という社会的な構造の話とは別です。

当然、ラッツアンドスターをよく知る僕ら日本人は差別の意図はないのは知っています。

でも、彼らのあこがれやリスペクト、つまり表現者の意図と受け手がどう思うかというのは別の話です。

これまで述べてきたような文脈が成立し、かつ、現在もアメリカのエンターテインメント業界で「黒塗り」が差別的な表現としてみなされている以上、どう考えていようと彼らのメイクはアメリカでは“差別的なブラックフェイス”を再生産していると受け止められてしまいます。

このように、アメリカやヨーロッパのような人種間や階級間の大きな文化的差異がある社会では“そのつもりはなかったんだ”という論法は通じません。

文化的基盤が全く違う相手と共存していく社会で重要になるのは、“差別”という形式を満たすかどうか、結果的にどうなったかということなんです。僕はそれがまったき他者と共存していく中でアメリカが出した1つの解答なんだと思っています」。

 

 議論のプロセスにこそ意味がある

これまで述べてきたようにラッツアンドスターはアメリカの文脈に多くを負っている以上、彼らの意図がどうであれ、黒塗りをするというパフォーマンス自体が歴史的に見て差別的と受け止められてもしょうがないでしょう。

しかし、今回の事件に関する議論の中で重要なのは個別の事例を差別的だと断じることよりも、歴史的に差別がどう定義されてきたかという政治的なプロセスを振り返ることだと大和田先生は語ります。

「先日のシャルリエブドの件もそうですが、今回の件も表現の自由と危ういところで結びつきます。
フランスの場合は人種表象と表現の自由の間で、表現の自由のフランスにおける歴史性が勝ってシャルリエブドのような表現も許容されてきました。

しかし、アメリカでは表現の自由より人種間対立を乗り越える政治的な判断の方が勝った。何が正しいかではなく、その時にコンセンサスを得たのはどちらかというのが大事なんです。

“なにをもって差別的とみなすか”というのはその時々のコンセンサスによって形作られるもの。極端に言えばこれは言説闘争なんです。

異なる文化を持つ他者がいる社会においてはどの時代にも通じるコンセンサスを作るということができない。だから、アメリカ人には意見を言って権利を勝ち取っていくという意識が非常に強い。

今回の件で学ぶことがあるのならば、一時的に決まったことを大事にするんじゃなくて、物事が議論の中で決まっていくプロセスを大事にすること。

“これが差別”という唯一絶対の解答はなくて、これまで行われてきた議論の上に立つこと。将来的に黒塗りに対する解釈は変わる可能性があるにしろ、これまで先人の積み重ねてきたプロセスを考えると現在では黒塗りはできないのだということを理解してほしいですね」。

大和田先生の言うように、差別を定義する上で「完全で普遍的な基準」はない以上、「過去のことを知る」という人文科学的なプロセスで改めて差別を考えるのが今求められていることなのです。

[参考文献]

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