【読了時間:約 6分

こんにちは、Credo編集長の前島恵です。

5月7日朝日新聞メディアラボにて、『Webと新聞から考える、新時代のニュースとメディア〜朝日新聞メディアラボで語り合う夜〜』が開催されます。ゲストに、朝日新聞メディアラボの山川一基氏、ログミー代表の川原崎晋裕氏らを招き、ニュースの未来、メディアの未来についてお話しいただきます。

宣伝も兼ねて、今回のイベントのきっかけについて書いてみます。

今回前提にしたい問題意識は、3点あります。

①「これからのニュースの形はどうあるべきなのか」

②「ジャーナリストや記者の役割はどのようなものであるのか」

③「メディアの形はどのようなものであるべきなのか」

 

 1-これからのニュースの形

最近インターネット時代におけるニュースのあり方についてよく考えます。

インターネットに適したニュースの形とはどのようなものなのでしょうか。こういった問いを投げると、「すでにインターネット上にはニュース記事や動画が沢山あるではないか」という答えが返ってくることがよくあります。

たしかに、 すでにインターネット上にはニュース記事や動画があふれていますし、その蓄積量は加速度的に増加しています。しかし、そうして日々作り出されるコンテンツのどれほどが、インターネットならではの形、インターネットにおけるユーザー体験に適した形、インターネットの可能性を引き出したものであると言えるでしょうか。

現状インターネットを使った媒体で最も読者を集めているのはwebであればポータルサイト、アプリであればアグリゲーション(キュレーション)アプリです。

しかしこれらのコンテンツのほとんどは、既存の新聞社や通信社によって配信されたテキストを載せたものでしかありません。

つまり、従来であれば紙やラジオを通して伝えられていたニュースが、そのままインターネットへ平行移動しただけなのです。

もちろんニュース記事自体は同じでも、それをこれまでとは違ったルート、方法で伝えることがインターネットの役割であるという意見もあるでしょう。しかし、現状ではまだまだ、インターネット時代におけるニュースの可能性が発掘されているとは言えません。

 

 2-ジャーナリスト、記者の役割とは

次に取り上げたいのは、ジャーナリストや記者のこれからの役割についてです。

読売新聞と朝日新聞の発行部数を合わせると2000万部近くになり、世界の新聞発行部数トップ2を独占しています。しかしながら、近年、紙媒体としての新聞は購読者数を減らし続けていて、 これまでと比較して紙の新聞が読まれなくなってきていることは事実です。それに伴って、「新聞は斜陽産業である」という声がよく聞かれます。

たしかに、紙の新聞は斜陽産業であるかもしれません。しかし、その中で働いている記者やジャーナリスト、編集者の役割は決して減滅しないと思います。上にも書いたように、今、インターネット上で読まれている記事のほとんどは新聞社の記者さんが書いたものですし、ニュース記事というものはただ起こったことを書けば良いというわけではないからです。

ニュースをコンテンツとして見る際に、二つの軸を意識する必要があります。

一つはコンテンツの「量」、もう一つは「深さ」です。コンテンツの「量」とは読んで字のごとく、テキストや写真の量を意味します。記者の役割は出来事の重要な部分、必要な部分をピックアップをしてそれを再配置し、世の中に発信することです。

そうした行為が事実の捏造である、偏向報道であるという批判を受けることもあります。しかしそうした行為のおかげで私たちが限られた時間の中で重要な情報を取得できていることはまぎれもない事実です。

もう一つの「深さ」というのは、ある出来事に関する情報のきめ細やかさや確からしさを指します。

{新聞社の方に話を聞くとよく言われるのですが、同じ対象に取材してもベテラン記者か新米記者かによって記事の内容は全然異なるそうです。確かな情報を取得するためには、確かな経験やある種の泥臭さや強かさが必要であるということがわかります。

このように、事実と私達との間だけの関係性であると思われがちなニュース消費行動ですが、実は記者と取材対象と私達読者、三者の間のコミュニケーションなのです。そうしたコミュニケーションの仲立ちとなっていた記者やジャーナリストが、webメディアではどのような役割を果たすことができるのかについても話をしていきたいと思います。

 

 3-求められるメディアの形とは

以上二つの課題を踏まえた上で考えたいのは、これからのメディアの形はどのようであるのかということです。コンテンツや記者が乗っかるプラットフォームがメディアです。

メディアはただ記者やコンテンツと読者の間の仲立ちとなるだけではなく、コンテンツのあり方そのものを規定します。

メディア論という学問分野において著名な学者であるマーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」という言葉を残しています。これは、メディアはコンテンツを運ぶ透明な筒のようなものではなく、メディアもまた意味を持っており、受け手の体験を規定するという意味です。

コンテンツの作り手とコンテンツ自身、そして読者の振る舞いを規定するのがメディアです。

webにおいてテキストや写真といったフォーマットに対する制限や、読み手に届くまでの時間的制限、盛り込める情報の量的制限など様々な制限がなくなる中でどのようなメディアの形があり得るのか、議論していきたいと思います。

上にあげた三つの問題意識はそれぞれに独立したものではなく、三者が相互に関連しています。これらのトピックを行き来しながら議論を進めていきたいと思います。ぜひ、お越しください。

 

チケットはこちらからお申し込みいただけます。

Credoをフォローする