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Credoによる研究者インタビュー。前半に引き続き東京大学大学院で催眠を研究するプロマジシャン・催眠術師の漆原さんにお話をうかがいます。(インタビュー前半はこちら

 

催眠研究が持つ意義

ー ここからは研究について掘り下げて聞かせていただきます。今まで催眠とはどういう現象なのかお話しいただきましたが、これを科学的に研究するにあたって、具体的にどんなことをなさっているのでしょうか?

 1ついい例をお見せしますね。この画像を見てください。

 スライド1

文字のインクの色を声に出して答えて下さい。「青、赤、緑、黃、緑、赤、黃…」。簡単ですよね。

じゃあ、これはどうでしょうか。

 スライド2

さっきの画像と違って、文字の意味内容(漢字の意味)と文字が書かれているインクの色がマッチしていないのですが、これだと難しくなると思います。これは「ストループ効果」と呼ばれています。

どんなに意識して文字の意味を無視しようとしても、自動的に文字の意味を脳が処理してしまうので、この意味処理と「インクの色」の視覚的な認識との間で競合が起こってしまい、色自体の判別が遅れるんです。

このように「文字の意味を自動的に認識してしまう」というようなプロセスを、「自動的過程」と言うのですが、これは日常的に起きていることなんですね。

 例えば車を運転する時も、運転を覚えたての時は様々なことにすごく注意を払います。こうして意識的に注意をして課題を行うようなプロセスは「制御的過程」と呼ばれます。ですが、運転に体が慣れてくるとそういった注意が自動化されて、何も考えなくても運転できるようになる。制御的過程は繰り返すことで自動的過程に移行するんですね。

他の例としては、新しい家に引っ越しした時に、最初はそこに帰るために道をいちいち思い出しながら辿っていたのだけど、気づいたら何も考えずに上の空で歩いていても着くようになったとか、そういう体験もあります。

一度自動的過程に移ると、それを再び制御的過程に戻すことは困難です。

 

同じような話で、文字の意味も習得されてしまうと、自動的に処理されるようになってしまうんです。こうなると、意図的に文字の意味内容を無視しようとしてもできなくなってしまうんですよ。

事実、これまで色々な研究者が様々な手法を使ってこのストループ効果を抑制しようとしてきたんですが、教育や教示などでは無効化することができませんでした。

 

ーストループ効果って、そんなに強いものなんですね!

強いです。習得された文字の意味は自動的に処理されてしまう。

そんな中、2002年にラズという研究者が、催眠によって文字の意味内容をわからなくするという暗示をかければ、ストループ効果が起きなくなるということを実験で明らかにしたんです。具体的には、「この文字は何の意味もないただの記号です」と暗示をひとつ与えるだけで、ストループ効果が起きなくなったんですよ。

これは大きなインパクトでした。催眠でなければ不可能な現象がはじめて発見されたんです。

それまでは「腕が固くなる」とか、「水がコーラになる」とか言われても、「本人がそう言ってるだけなんじゃないの?」とか「そういう「ふり」をしてるだけじゃないの?」と指摘されたら、データで反証するのが困難でした。

でも、ストループ効果の抑制は、「催眠でないとできないこと」だった。催眠は「ふり」ではないことが示せたんです。

しかもこのときの脳状態も通常時とは異なったものでした。

競合する二つの情報を処理しようとしたときに活性化するACC(前部帯状回)という場所があるんですが、通常ストループ効果が生じた被験者では、このACCは活性化します。でも催眠状態の被験者では、同じ課題中にACCが活性化しなかったんです。

これは要するに催眠ならではの脳状態を見つけることができたということで、すごく面白いことなんです。

 

ーそれはすごい! 催眠って心理学的にものすごく面白い現象なんですね。

 催眠が脳科学の手法で可視化され、その存在が実証されてきたのが2000年代はじめのことで、僕は今、その延長線上のことをやろうとしています。

 

催眠研究が明らかにすること

ーひとつ疑問なのですが、ラズがストループ効果を抑制したときに起こした催眠と、ふだん漆原さんがかけている「腕が固まる」とか「水がコーラの味になる」とかいった催眠を、本当に同じ現象だということは可能なのでしょうか? もしこれらの現象が違うとすると、研究が少し複雑になりますよね。

まさにそこが難しいポイントなんです。僕は、同じ「催眠」って同じ名前でくくられている現象が、すべて同じものだという見方に対しては懐疑的なんです。

だって、「コインが消える」って現象と「手が固くなる」って現象は、どう考えても違うものじゃないですか。

こういった全然異なった現象がひとまとめに催眠と呼ばれているのですが、僕が最も興味があるのは「催眠と呼ばれている様々な現象に共通する神経機構があるのか」という問いです。自分の研究に限りませんが、脳波やfMRI(磁気共鳴機能画像法)を用いて催眠状態に共通する神経基盤を見つけ出すというのがこれからの催眠研究の第一の目標だと思います。

 

現在僕は実際に主に3つの研究を平行してやっているのですが、その1つに、ラズと同じように催眠で錯視を制御するというものがあります。

この図を見てください。

 

エビングハウス錯視

 

左右ともこの真ん中の丸は実は同じ大きさなんですが、この画像を見ると左の方が小さく見えてしまいますよね。暗示をかけることによって真ん中の丸を取り囲んでいる丸を見えなくすれば、理論的には真ん中の丸は同じ大きさに見えるようになる。そうした仮説に基いて、実験を行っています。

 

これによってラズの実験と同じように「催眠ならではの現象」を示すことが出来ます。催眠自体について知見が得られるし、もうひとつは錯視(錯覚)が認知プロセスのどの段階で起こっているかについても知見が得られるんです。

 

ー他にはどのような研究をなさっているのでしょうか?

 他の研究としては、催眠の工学的な応用性に関する研究を行っています。これに関してはまだ成果を公に発表していないので、詳しくお話することができないですが…。

全く別の筋の研究としては、哲学の現象学という分野の知見を活かして、被験者に催眠状態はどんな感じなのか主観的に語ってもらうという研究をしています。これは、私たちがひとまとめに「催眠」と呼んでいる現象を分類するときには、被験者の主観をもとに行ったほうがいいのではないかという仮説に基いています。

 

ー哲学まで応用するんですね! でも、科学の客観的な研究において主観的な語りがデータとしてどれほど信頼できるかって、すごく難しい問題ですよね。

 そうなんです。催眠現象はどうしても主観的な要素が入ってしまうので、科学では扱いにくいんですよね。この点に関しては、場合に応じて人文学の知恵をうまく借りるのもひとつの手ではないかと思っています。

 

スマートニュースで働くことと催眠研究の共通性

ーここからは漆原さんがニュースキュレーションサービスを開発・運営するスマートニュース社で働きはじめた経緯に関しておうかがいしたいと思います。

 はじめから経緯を説明すると、元々はニュースキュレーションアプリってあまり好きじゃなかったんです。

たとえば、あるニュースを見た時に、それに関連するニュースばかりがサジェストされるというような、行き過ぎたパーソナライズが気持ち悪いなと昔から思っていまして。好きな記事ばかり読んでいると、それに比例して視野もどんどん狭くなってしまう。

 

ーイーライ・バリサーが指摘している「フィルターバブル」という現象ですね。

まさにそうですね。僕が勝手に想像していたニュースキュレーションアプリは、自分が見たい情報だけ見せ続けてくれる、一見ユートピアみたいなものだったんですけど、せっかくインターネットによってアクセスできる情報が増え続けているのに限られた領域の情報ばかりに閉じこもってしまうのはもったいない気がしていて。

ところが実際に話を聞いてみると、スマートニュースは、そうしたパーソナライズを行っていなかったんです。むしろ、類似したニュース記事はフィルタリングして、できるだけ多様な情報を届けるようにしている。最も話題性が高く、良質だと機械が判定した記事だけが抽出される仕組みになっているんですよ。それによって、「自分が好きな記事」だけに留まらず、他の様々な情報に触れる可能性を拓いていくことができるんです。

しかも、スマートニュースは月400万人以上のユーザーがいて、1日あたりでも200万人以上が使っている。きちんと「多様性」がユーザーに支持されているんですね。このアプリに出会って、「まだパーソナライズに対抗できる余地がある」と可能性を感じたんです。ならば、今この可能性にかけない手はないなと思い、この会社にジョインしました。

 

自分の中では、マジックや催眠をやっている理由とスマートニュースにいる理由は本質的には全く同じなんです。人って、基本的に自分が見たい世界しか見ないじゃないですか。自分の外にどんな世界が広がっているかっていうことを自然にシャットダウンしてしまっている。それに対して、他の世界の可能性を拓いていきたいという思いが根底にあります。

マジックは、自明のように信頼している世界観を、少しだけ揺らがすことで視野が変わるという部分に価値があると思っています。

催眠も、私たちが普段あたりまえのように信じている感覚が、実はとても不明瞭なもので容易に変わりうるということを示したくて行っています。

たとえば、催眠研究の一例で、統合失調症患者の症状を催眠でシミュレーションするという研究があるんですね。統合失調症の人は「腕が自動的に動いてしまう」「幻聴が聞こえる」などの体験をするのですが、こうした状態を私たちが想像するのは難しいですよね。体験したことのない人にとっては異世界です。でも実際に催眠によって類似の体験をしたら、「あ、こういう感覚なんだ」と統合失調症患者の感覚に一歩近づけるかもしれない。またひとつ自分の中の世界が広がったということになると思うんです。

 

 ーなるほど、マジックと催眠、スマートニュースの関係が見えてきました!

 最近、自分が携わっていた「読書チャンネル」という話題の本の情報が得られるサービスが公開されたんです。これは、本の情報を得ようとした時に、レコメンデーションやランキングに頼ってしまう状況をどうにか変えられないかなと考えて手がけていた仕事です。

 ランキングだと常に上位の本が同じだったりしますし、レコメンデーションだけに頼ると自分の好きな作家の本しか読まなくなってしまう。これでは新しい本と出会う機会が減ってしまうと思うんですね。だから、ランキングやレコメンデーションという形式以外で、話題の本について広く知ることができるサービスを作りたかったんです。

おかげさまでこの「読書チャンネル」はわずか2週間で10万人に登録して頂きました。やはりこういう需要は潜在的にあったんだなって思いましたね。

 

境界の上に立ち、多様性を開いていく

ーちなみに今後は大学に戻らずにスマートニュースで働いていこうとお考えなんでしょうか?

研究は今後も必ず続けていこうと考えています。先ほどの多様性の話ともつながりますが、ビジネスの視点とアカデミックな視点のどちらも持ちたい思っているんです。

 僕自身も含めて、人間はどうしても二分して考える癖があると思うんですよ。「文系/理系」や「社会に出る/アカデミックな世界に残る」、「健常者/障害者」とか。そうやって二つに分けたほうがわかりやすい。

 でも、こういう境界って実はすごく揺らいでいるものだし、揺らいでいいし、むしろ揺らいだ境界上に立ってどちらの世界も見えた時に、はじめて自由に選択ができるようになると思うんです。

 

ーただ、人はあまりにも目の前の選択肢が増えると、どうすればいいのかわからなくなってしまうということもあると思います。

次の課題はそういう問題だと思っています。選択肢が複数あるときに「こっちにするべき」というサジェスションが欲しくなってしまうのは、人間にとって自然なことだと思うんです。

この思いを汲み取りつつ、それでも多様な選択肢を拓いていくにはどうすればいいかという課題に、研究でもビジネスでも取り組んでいきたいと思います。

 (インタビューおわり)

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