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人工知能に関する議論を進めるために必要な視点とは何なのか。東京大学にて人工知能の研究を行っている松尾豊准教授にお話を伺いました。

前編では、人工知能と人間にはそれぞれ得意分野があること、特に人工知能が不得意なのは人とのコミュニケーション、そして本当に感動的な作品を作り出すこと、という話題が展開されました。

後編では人工知能と人間を隔てる最大の壁、そして人工知能の本質に迫ります。

 

人工知能が感情・本能を持てない理由

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–先ほど、人工知能が独創性のある芸術作品を生み出すことは難しい、と仰っていただきました。しかしそもそも、独創的という判断基準って曖昧ですよね。作品の受け手がどう解釈するかによって、独創性を持つ感動的な作品かどうかという評価は分かれるのではないでしょうか?

松尾先生:いえ、受け手がどう感じるかという部分を問題にはしていません。

例えば、俳句で、適当に文字を散りばめれば、独創的だ!って言う人はいますよ。将棋の電王戦でも、この一手は独創的だと評されて、そこから棋士の方々が逆に学んでいくこともあるでしょう。

ただ私が言いたいのは、非常に高度な人間の感情・本能のシミュレータが不可欠なものは、人工知能は生み出せないということです。

ピカソは自分の作品を生み出す時に、いろいろな人の意見を聞いて、それら意見に従って絵を描いたのではなく、自分が描いている作品を見て、自分はどう感じるだろうか、他の人はどう感じるだろうか、という自分自身の中にある本能や感情というシミュレータに問いかけて、そのフィードバックを受けて作品を完成させたと思います。

逆に言えば、もし人工知能が人間の感情・本能をそっくりそのままシミュレートできるのであれば、僕は人工知能技術で芸術作品も生み出せると思っています。

ですが、人間がどういうものにどういう感情を抱くか、何を欲し、何を嫌うか、という部分は非常に入り組んでいて、それを実現or実装するには長い遺伝的なプロセスが必要です。

例えばとげとげしているものが何と無く嫌で、柔らかいものは何と無くここちよく感じるとか、人間の感性というのは進化の過程の中でそう感じる方が生存確率を上げるという理由で細かくチューニングされてきました。

だからそっくりそのままその機能を持つシミュレータを人工知能の中に入れられるのかと言われれば、当面は厳しいでしょうね。そこについて不可能ということを主張したいのです。

 

–色々な人がどう思うかっていうのは関係なくて、人工知能によって作られた作品が本質としてそこに到達できたかどうか、ということですね。

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 人工知能が出来ること

ここまで人工知能には出来ない、人間が得意とする部分について述べてきました。では、人工知能にできることとは何でしょうか。

それは事例をあげればキリがないほど存在します。しかも今まさに飛躍的に向上している段階にあると松尾先生は著書で述べています。

次の図は松尾先生の著書『人工知能は人間を超えるか-ディープラーニングの先にあるもの-』に記されていた、技術進展の見取り図を元に筆者が作成した図です。

進展図

昨今話題となっているディープラーニングという新たなアルゴリズムによって、人工知能は今後飛躍的な発展を遂げると考えられています。

今はまだディープラーニングによって画像認識の精度が飛躍的に向上した段階ですが、徐々に学習できるものが画像から動画、そしてロボットを介して世界そのものになっていくことで、人工知能にインプットされる情報は大きく変化していきます。

その進展の中で、最終的に人工知能は言葉の概念を理解し、情景と言葉をリンクできる段階にまで到達できると目されています。その段階まで到達すれば、より多くの仕事を人間に代わってこなすことが出来る様になるでしょう。

 

 人工知能は人間に対してサブシステム性を持っている

このように可能性を広げていく人工知能に対して、脅威を感じる人々が「人工知能は人間の職業を奪い、存在を脅かす可能性がある」という声をあげています。

しかし、人工知能とはあくまでも人間が使う技術の一つでしかないのです。本質的に人間よりも下位にあることを理解する必要があります。

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–人工知能の技術が進展するにつれて、人間の仕事を奪ってくことに対する懸念を持つ人は数多くいると思います。私たち人間にとって人工知能とはどういう存在なのでしょうか?

松尾先生:具体例で考えてみましょう。

例えば、自動改札を導入した時に大きな反発があったという話がありました。切符切りの駅員の仕事がなくなるではないか、という声が上がったわけですが、大阪万博の時に思い切って導入してみたら、非常に好感触だったそうです。

人工知能のような自動化を職務に持ち込むことで、ある程度反発や色々な想像がされるのは避けられないです。ただ駅で切符を切る仕事は人間がすべき仕事かと言われればそうではないですし、違和感を覚えます。

人工知能と人間の本質と職務内容とを関連させた上で未来を考えていきたいですよね。

そうして未来を考える時、重要だと思うのは、どんな物事にも階層的なシステムが存在しているということです。その視点で考えると、人工知能は本質的に人間に対して下位の存在、サブシステムだと思います。

データや目的があって初めて動くので、どう考えても人間に使われる構造にあるんです。人間の生活が豊かになるために技術が存在しているという構造は変わらないと思います。

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それを前提として考えれば、人間の職業をそっくりそのまま奪うという考え方は少し極端すぎるかもしれません。

そうではなく人工知能が、人間がしなくても良い仕事を請け負うことで、より人間が人間のすべき仕事に注力出来る、社会を変えるきっかけになる、と考えることは出来ないでしょうか。

考え方を変えるという観点について、私がインタビューの中で例として「ニュースメディアにおける企画を考える人工知能の可能性」を尋ねた時、松尾先生は以下のように述べられました。

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–言葉の意味を理解できる段階にまでくれば、人工知能にニュース記事の企画を立ててもらうことも可能になるかもしれないですね。

松尾先生:例えば経済記事を扱うメディアで人工知能を導入するとして、金融業界の人たちの考え方、銀行業務とかの定義やそういう詳細な事象に及ぶ部分まで徹底的にシミュレートできるようなモデルを構築してやれば出来ないこともないでしょう。

ただ、ニュース記事の企画を出来るような精巧な世界モデルを持つ人工知能に、わざわざ人間でも出来ることをさせる必要はないんじゃないでしょうか。

そんなことするんだったら、もっと役に立つことたくさんあるじゃないですか。

インターネットがなかった頃に、「インターネットが出来ると電報よりももっとたくさんの文字を瞬時に送ることが出来る様になるんですか?」って聞くのと同じ考え方だと思います。言葉の意味・概念が理解できる人工知能に企画をやらせるという考え方は。

単純に機能を置き換える想像をするよりも、人工知能じゃないと出来ないことって何だろう、という想像の方が有益じゃないでしょうか。

 

–インターネットを単純に電報の代替版として考えるのと同じくらい、人工知能に人間がやっていることをそのままやらせるのはナンセンスということでしょうか。

単純に職業が取られるとか、そういう考え方をするよりは、人間の機能を補っていく、直接関わるというよりはサブシステムとして土台になっていくという考え方をするべきということですね。

松尾先生:土台の支え方が変われば、人間側もまた新しい考え方をすることができるようになると思います。

将来的には目的別に空間をデザインしてくれる人工知能搭載システムが出てくるかもしれないですね。例えば今インタビューを受けているこの応接室が、深澤さんが帰った瞬間に椅子やデスクが自動的にしまわれて研究用のが出てくるとかですかね(笑)。

そして人工知能が空間の形を瞬間的にその時々の目的に応じて最適化してくれるならば、わざわざ通勤をしなくてもいいんじゃないのかという問いが出てくるかもしれないですよね。オフィスに行かなくても環境が構築できるんですから。

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 人工知能は技術の一つでしかない

人工知能技術が急速に発展する今、その技術に対して期待が高まると同時に不安を抱える人も増えています。

しかし、それは人工知能が何なのかよくわからないからではないでしょうか。

人工知能とはあくまでも人間に使われる技術の一つでしかありません。勿論、我々人間に害を及ぼすこともあるでしょう。ですがそれは、技術が悪なのではなく技術を使う人間の倫理観に依存しているものです。

これからの社会では確実に人工知能と上手く付き合っていくことが求められます。それだけ身近になってくるからこそ、私たち人間は人工知能という”テクノロジー”を本質的に捉えていかなければならないのではないでしょうか。

 

[謝辞] 松尾先生、インタビューを引き受けて頂きありがとうございました。

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