【前】「書きたいことを書く」仕事*ノンフィクション作家・川内有緒さんインタビュー

【読了時間:約 6分

好きなことで、生きていく。
最近喧伝されるこのキャッチコピーは、確かにとてもまぶしく映る。
しかし好きを仕事にするなんて、才能も運も必要だろうし、ときに自分をいろいろな方向から切り売りしていかなければならないしんどさが透けてみえてしまう。

でもそんな気負いや衒(てら)いを一切感じさせず、ごく自然に、「したいこと」で生きている人たちもいる。
川内有緒さんの『パリでメシを食う。』(幻冬舎文庫)は、そんなふうにまっすぐに夢を追う、パリ在住の日本人10人を描いたノンフィクションだ。

川内さん自身は、この本の執筆に着手した頃、パリにある国連組織の正規職員だった。しかしその後すぐ、国際公務員という恵まれた待遇をあえて手放し帰国。ノンフィクション作家としてデビューした。その経緯は、著書『パリの国連で夢を食う。』(イースト・プレス)にも詳しい。

どんな未来を想像しても、それが自分の残りの人生だと考えると、どこか違和感を感じるのだ。(同書, p.232)

その思いがくすぶって、国連を退職してから5年。
「書くことで生きていく」道を選んだ川内さんはいま、そのときの決断を振り返って何を感じていらっしゃるのか。
夢に一歩踏み出した、“その後”を伺った。

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(アイコン・トップ写真)撮影:市川勝弘

川内 有緒◆かわうち ありお

日本の大学を卒業後、アメリカの大学院へ留学。卒業後はアメリカのコンサルティング会社、日本の大手シンクタンクに勤務。31歳のとき、パリに本部のある国連機関に転職。5年半勤めたあと、フリーランスに。現在は日本を拠点に、面白い人やものを探して取材してはしたためる日々。

 

とにかく「辞めないと話が進まないよな」

――国連機関を辞め、フリーのライターになると決断するにあたって、なにか足がかりはあったのでしょうか?

国連に入る前、7ヶ月くらい暇だった時期があって、そのとき一度、お金をもらって文章を書くという仕事をしたことはあったんです。全日空の機内誌『翼の王国』に取材記事を載せるという。シルクロード、メキシコ、カリブ海と3回取材に出させてもらいました。
それが、今思うととても良い仕事で。編集長も「まっさらな気持ちでやっていいよ」と言ってくれたし、特集を丸々割り当ててもらったので、ページ数もとても多くて。シルクロードの記事なんて30ページくらいあったんですよ。当時は相場を知らないから、そういうもんなのかなって思っていましたが(笑)。
そのとき、編集の方にいろいろとアドバイスを貰ったり、ライティングのやり方を覚えたりもして。その経験があったから、「まとまったものを書く」ことへのハードルはそう高くなかったのだと思います。

――その後、国連職員に採用され、フランスに移り住むことになるんですね。

パリで働き始めてからは、いつも定時で上がれるし、すごく時間に余裕があったから、『パリでメシを食う。』のもとになる原稿を趣味として少しずつ書き溜めていて。それを日本の出版社に持ち込んだところ、始めは「こんな本は売れない」とまったく相手にされなかったのですが、最終的には幻冬舎の編集者が気に入ってくれて、なんとか出版されることになったんです。
同時に国連職員として働き続けることへの疑問がとても大きくなってきたので、そろそろ良いかなって辞めることに決めました。
というのも、国連職員だと制約がすごく多いんですよね。基本的には副業できないし、9時から6時まではきっちりオフィスにいないといけない。会いたいひとがいて、急に明日会えるってなっても、仕事を蹴るわけにはいかない。だから、忙しくてももう少し制約が少ない働き方ができればなあって。

――制約が少ない働き方、ですか。

辞めて、全部自由になりたかったっていうのとはちょっと違うと思うんですよね。ただ、今よりも自由が欲しい、どういう形が良いのかは分らなかったけど、でも「辞めないと話が進まないよな」というところまできたという感じ。
だから、国連を飛び出した先に、絶対こうしてやろうっていうほどの強い気持ちがあったわけじゃなく、時間をかけながら、自分はこれからどういう仕事ができるか模索していったんですね。
帰国の2ヶ月後に『パリでメシを食う。』が出版されましたが、そのあとはまた時間があったから、バングラデシュに旅行に行きました。最初は、漠然とこれで短編でも書ければいいなという気持ちで始めたのですが、書いているうちにだんだん長くなって。最後はそれが一冊の本にまで膨らんで、『バウルの歌を探しに』(単行本タイトル『バウルを探して』、第33回新田次郎文学賞受賞)として刊行されました。

――それにしても、国際関係のリサーチのお仕事からフリーのライターに、というと職種的にも大きな飛躍があるように感じますが……。

そもそも国連を辞めたとき、「ライターという職業になりたい」っていう気持ちだったわけじゃないんですよね。まだ「ライターとして食べていく」というほどのはっきりとした決意というのはなくて、とにかく私が見聞きしたこと、出会った面白い人、それを自分なりに文章にできればいいという感じでした。
文章を書く仕事だけじゃ全然お金にならないから、もともとの専門である国際関係のリサーチの仕事も引き受けていましたし。そうしながら、自分が好きなところに行って、好きなことを書ければいいかなっていう思いだったんです。
それも、国際協力分野のコンサル会社や国連みたいな、いろんな国に旅出る、いろんな国の人と働くのが普通だという環境の中にいたからこそ「今やっていることを文章にできればな」という気持ちが生まれてきたので、過去の経験が生きてる部分はいっぱいありますね。
だから、「ライターです」と名乗ると誤解を招くかなという気もしています。

川内有緒さん

(上写真)撮影:深澤祐援

私は川内さんを少し誤解していた。とにかく「書く」仕事に就くために、組織を辞めたのだと想像していたのだが、実際は「面白いことを」文章という形にしたい――それを生業にというよりは、それができる環境がほしいという気持ちから始まったという。

ここに、川内さんならではの「好きなことを仕事に」のヒントがあるような気がする。

とはいえ、フリーランスは必ずしもお金の面で安定しているとは言い難い。後編では、そんな「生活」の部分、そして現在のお仕事に迫りたい。

後編はこちら

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